できることをやっていくことの大切さ |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

興味深いニュースが。

ブルガリアで地震を予言した著名な占星術師が、実際には予言した当日には地震が起こらず、根拠のない情報を流布したとして、検察当局から事情聴取を受けるという事件が起きているようです。
その占星術師は、同国内のハスコボ市で19日早朝にM7クラスの大地震が発生し、死者が出ると予言していました。大きな被害を出したイタリア中部地震の後でもあり、市民の中には屋外のテントや車の中でその夜を過ごすという人もいたようですが、結局は地震は発生しなかった。
占星術師は謝罪したという話ですが、検察は検挙も視野に入れているようです。
ブルガリアは伝統的に、迷信や占星術といったものが信じられやすい風潮を持っているようで、真に受けて過剰な行動に出る人が多かったということですが……。

似たような予測を立てている身としては、襟を正さなければならないお話です。
2月初旬に非常に危険度が高い星位があったとき、このブログにそのことを書いていると、やはり不安を訴える人がおられました。
危険が見える以上、何も語らずにいることも良いとは思えないのですが、要は情報の発信の仕方に十分気をつけなければならないということでしょう。
厳に避けるべきは、売名や自己顕示欲から声高に「大地震が来る」というような表現をとることでしょう。

このブルガリアの占星術師が、いかなる根拠で19日の早朝にハスコボ市に大地震が来ると予知したのか分かりませんが、19日は私も「19日~25日」という予測を出しているので、まんざら根拠がないわけでもなさそうです。
日本でも19日、硫黄島近海でM6.2(気象庁発表値、USGSでは5.4)の地震が発生していますし、インドネシアでもM6.1が発生しています。
とはいえ、19日は大地震が来るというほどの星位には見えません。むしろ、ある意味日常的です。
とりあえず注意日としておこう、くらいです。
M7の地震がハスコボに来るという予知をいかにして行ったのか、私には正直分かりません。

ましてや私は、まだ地震発生の場所については、まったく研究途上にあり、○○市なんていう絞り方はできません。アジア方面、とか、その程度でさえ、まだ精度にかける程度です。現状の私の技術や知識では、それができる占星術師がいるとすれば、神業的に思えます。

ともかく、こういった予測はデリケートなものだと、あらためて思い知らされます。

pyonchanzさん。
コメント、ありがとうございます。
マザー・テレサに関する記事は、私は過去に行った解読記事の中でも、とくに好きなものになりました。
これを通じて、私はマザー・テレサという人間のすばらしさに、あらためて触れた思いがしました。

>人生における占星術的な影響力というのは、思いの外大きいということは、どうやら事実として受け入れなければならないと思い始めています。ヨットにおける風みたいな影響力なのかも知れません。如何にうまく風をつかんで前進するか。舵取りが個人に任された裁量であって、舵取りの仕方で人生も変わる。そういう風に、自分なりにまとめてみました。

そうですね。とても的確な表現だと思います。
私がよく鑑定でお会いする人に説明しているのは、占星術の星々の力の影響、つまり「運気」というものは「天気」と同じだということです。
「運気は天気と同じ」
つまり、今日は晴れ、明日は雨、明後日は台風がやってくる。
こういう予報を出しているのと同じだと。
しかし、では雨の日にどう過ごすのか、傘を差して出かけるのか、それとも家の中で過ごすのか、誰と過ごすのか、どのように過ごすのか、といった事柄は、本人の「意志と選択」で決められます。
そういう観点で見たときには、やはり「未来は何も決まっていないし、どのようにも変え得る」のです。

しかし、変え得ないこともあります、やはり。
たとえば台風がやってくるのは、変え得ません。これは現実、そうですよね。
これがチャート上では、冥王星のようなトランスサタニアンの強制的影響力だったりします。
そんな中でも、人によっては台風の危険を冒してでも、出かけていって何事かしなければいけない場合もあります。
また台風被害で、浸水したり、屋根が破損したり、吹き飛ばされた何かにぶつかったり。
こういった出来事には、残酷な強制力があります。
意志の力では変えようもない。

自然災害だけではなく、たとえば犯罪の被害者になるといった事柄もこういった事項に含まれます。
世の中にはいわれなき犯罪の被害に遭う人というのが現実にいます。
ヤクザの抗争の流れ弾で死亡してしまう、強盗に刺されてしまう、暴走車にはねられる、変質者につきまとわれ狙われる、あるいは強姦される。
肉親や愛する者の死。
これら自分ではどうしようもない不条理な出来事というのが、世の中には非常に多い。
これらは意志と選択だけでは対処できません。

しかし、そういったトランスサタニアンの暴挙にも、私たちはもしかすると対応できる可能性があるような気がします。
マザー・テレサのチャートを見、歴史を振り返って痛感したのは、「この人は自分に与えられた星々を使い切っている」ということです。
マザー・テレサはもしかしたら占星術法則を超越していたかも、という期待で解読を始めたのですが、逆にそこに浮かび上がってきたのは、「この人ほど自分の運命に忠実に、そして自分の力の限り、星々を燃焼させた人はいないのではないか」という事実です。

実際、ホロスコープ・チャートは自分の魂が自分に与えた人生のブルー・プリント(計画書)なのだと思われます。
だから、一般的には、それを否定するよりは、それを100%、実現させる方向へ持っていった方が、本人も満足するはずなのです。

つまり、占星術法則を超越する人を見つけたい、なんていうのは、やはり私の自己満足なのですね。

そういう意味で、やはり人は与えられた環境の中で(それすら自分が選んだものと言えるのですが)、自分にできるかぎりのことを精一杯やっていけばいいのではないか、という単純明快な在り方が、やっぱり正しいんだと思えます。
そうしてすべての星々を燃焼させることができたら、使い切ることができたら、いわゆる凶運など寄ってきようもないのではないか。
マザー・テレサのチャート解読は、そんなことも考えさせてくれました。

これに関連して、前記事の予告にあったことを書こうと思っていたのですが、今日はもう時間がなくなってしまいました。
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また明日。