おいおい……( ̄□ ̄;)!! どうなってんの。
なんと教室は、びっしりと生徒が埋まっていて、むんむんしていました。
とりあえず詰め合って席を空けてもらうようにしましたが、そうすると本当にすし詰めに近くなってしまった。
ざっと150人くらいいたのでは?
まだ履修が確定していない段階なので、生徒さんたちも様子見で来られている。
こちらも本筋の講義を進めてしまうと、履修を決めて来週から来られる生徒さんもいるわけで、そうそう先走ってしまうわけにも行かない。
毎年、この初回では、自己紹介、講義の進め方と主旨、採点方法などを説明した後、この前期の講義の主旨を別な角度からお話しして、終わりにするのが常だ。
出席重視。
試験は行わないこと。
随時配るプリントを提出すること(それが出席にもなるし、書いていることの内容を評価する)。
ボランティア・プロフェッサーをお引き受けした当時から、変わらない私のやり方です。
これが良いのか悪いのかは分かりません。
しかし、私の講義は「話を聞いてもらうこと」が第一なので、その目的にはかなっていると思う。
それにしても、暑い。
雨がちだったし、外気温はさほどでもないのに、教室の中が暑苦しい。
これだけ生徒さんがいると、ちょっと酸欠気味になる?
まあ、でも、来週になると、激減りしているということも考えられるので。
初回の講義でお話したのは、既成概念について。
読んで字のごとし。
すでに出来上がっている考えのことですね。
既成概念がない人間はいません。私たちは幼少期から、親に教育され、学校で教育され、友だちから影響を受け、対人関係の様々なやりとりの中で、形成されてしまう「考え」というものが、誰しもあります。
既成概念を持つことは必要で、たとえば常識などというものも、これと深い関係があります。
たとえば悪いことをしたら捕まる、罰せられるというのも、現実の中では逃げおおせている人間もいるわけですが、基本的には子供の頃から、そういうものだ、そういうのが正しいあり方だ、というのが教育されています。
こんな意識を持つことは、きわめて健全だと言えるでしょう。当たり前のことですし、もしこのような意識がまったく持てなかったら、へたをすると犯罪者になってしまいます。
ですから、既成概念のすべてを否定するものでは当然ないのですが、私の行う講義は「推理小説」に関するものです。
推理小説は、基本的に「謎」があり、「解明」に至る基本的な骨組みを有しています。
そして本格的な推理小説であればあるほど(いわゆる本格推理)、その謎解きが度肝を抜くものでなければ、面白くありません。
密室殺人事件があって、じつはその部屋に秘密の抜け道がありました、なんていうオチだったら、これはもう今時の読者は「はあ?」という感じでしょう。
読者の驚きは、すでに彼らが読んできたであろう推理小説の、既成の概念を超えたものであればあるほど、大きなものとなります。
つまり推理小説は既成概念を超えようとする文学的性質を持っているわけです。
もちろん、そのようなものとは目指すところが違う形態の推理小説で、しかも素晴らしいものがあるということは、ここに特記しておきます。それだけではない、ということですね。しかし、推理小説の歴史を辿ってみると、やはりその発祥段階から人の常識を覆し、既成概念の枠を打ち破るといった傾向が認められます。
だからこそ、私は前期の講義の主眼として、「推理小説とは何か」「その本質は?」ということを通じて、生徒さんたちに既成概念にとらわれすぎない、自由な精神を持つことも大事だと、メッセージを伝えようということでやっています。
学界が否定していること、今の科学の常識でこうだとされていること、世間的にあり得ない、無理だろう、と思われているようなこと。
初回はこれらにくさびを打ち込み、揺るがすようなことをお話しさせてもらいました。
「こういうことも考えられる」
「これまではこう考えられていたが、今、こんな事実も報告されている」
かなりの衝撃を与えることには成功したようです。
もちろん私の目的は、彼らの頭に既成概念から外れた新しい考え植え付けることではなく、「別な視点」を持つ空きスペースをハードディスクの中に作るためです。
だからちゃんと、「でも、試験にはちゃんと今学界でいわれているとおりの答えを書くように。でないと、×になるから」とも付け加えました(笑)。
こういう作業をしておかないと、固定化された頭だと、推理小説の講義など「ふえー」「はあ、そうなんだ」「すごいねえ」なんて、ただ感心するだけで終わってしまうものになってしまいます。
とはいえ、こういったことがちゃんと講義全体の流れとして考えられるようになったのは、去年ぐらいから。
お引き受けした初年度の2006年は、専用教材もなく(話が突然降って湧いたので)、ただただ毎週夢中でやっていた。
2007年はテキスト作成が前期も後期もぎりぎりになるという厳しさの中で、冷や汗ものだったし(それでもテキストができたことで、ずいぶんやりやすくなった)。
ようやく去年、体系的な講義というのが見えてきたばかり。
今年にしても、まだまだ未熟。
とこまでやれるか分からないけれど、自分の精一杯の講義を行い、若者たちにメッセージを伝えていきたい。

将来、「あんたの講義を聴いていたおかげで、夢を叶える努力ができた」とか「夢が叶った」とか、そんな生徒さんが一人でも二人でも出てきてくれること。
Bプロフェッサーとしての、私のささやかな願いです。