意志の力は運命に対してどこまで有効か |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
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 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

>本人の意志で、星の動きや意味合いさえも好転させ得るということでいいのでしょうか?

はい。その理解で良いです。
運命は人の意志と選択の積み重ねで構築されていくということを、このブログでも繰り返し申し上げてきました。まあ、「星の動き」は変えられませんが、星の動的な力は意志で変換することができます。
たとえば火星のハードアスペクトは、暴力や喧嘩、やりすぎ、横柄さなどですが、これらが人間関係で問題となりやすいわけです。しかし、火星の持つ「スポーツ」とか、「非常なエネルギー集中」「技術」などの意味合いで使うこともできます。
火星のハードで、人間関係に争いを起こす人もいれば、特定の技術を非常な努力で向上させる人もいるということです。これはその人の「意志」です。
火星のハードがやって来るという動きそのものは変えられませんが、その力をどのように使うかはその人次第です。

エネルギーは、善も悪もありません。ハードアスペクトは強いエネルギーで、だからこそ迂闊に触れると感電したり、火傷したりということが起きるのだと考えて下さい。
するとなぜハードアスペクトで、「悪いこと」が起きるのかが理解できるでしょう。世間一般にいう「悪いこと」も、星々にとってはただ自分たちの力を使いこなせない人間が、そのような形に「変換」しているんじゃないの、ということになります。
ソフトアスペクト(調和のアスペクト)は、エネルギーとしてはハードに劣ります。が、それだけコントロールしやすいわけで、出方としては「良いこと」となりやすい。しかし、ソフトには現状を突破し、限界を突き抜けるような力はないと、私は解釈しています。
実際、ソフトアスペクトでは放っておいても「良いこと」が転がり込んでくることがあり、ハードアスペクトでは他から「悪いこと」が持ち込まれてくることがあります(自分の意志とは関係なく)。ですから、「吉座相」「凶座相」という言い方も分かりやすく、間違っているわけではありません。しかし、その出来事の裏側にあるものを検証すると、やはり本人のありように深く関わっています。
この点については、いずれ詳しい記事を書くつもりです。
とりあえず今は、星の力は、単純にアスペクトという形で私たちに訪れ、私たち人間は1人1人がそのコンバーターなのだと理解下さい。力をどのように変換するか、それはその人の意志や、ありよう、生き方などに関わっています。

ただどのような星のアスペクトも、自分の頭で考える都合の良いように変え得るのだとは思わない方が良いでしょう。
「自分の意志で人生のどのようなことも好転させ得る」
これは非常にポジティブで、良い考えに思えます。しかし、この考えを強固に持てば持つほど、本当に自分ではどうしようもない出来事に遭遇したときに、逆に自壊作用が起きます。
「なぜ、こんな目に……?」
「自分は愛や誠意を持って生きてきたのに」
「私に何の罪があるの」
こういった理不尽で、無情な出来事が、この世にはあります。こういった出来事についても、チャートの星位は示してくれます。
が、普通の人はそのようなチャートの検証は行いません。
ただ、起きた出来事に翻弄されるだけです。その人が「人生は自分の意志次第」と強固な信念を持っていたなら、この理不尽な出来事には心が対応できなくなります。
理屈では説明できないからです。

この点について、少し説明させて下さい。
時折、「運命」と「宿命」という言葉を使い分けている人がいます。
よく見られるのは、運命は変え得るもの、宿命は変え得ないもの、という意味合いでの使い分けです。
つまりよく言われる運命の中には、絶対に変えられないものがある、それを「宿命」と呼ぶというものです。
ここでも、それを踏襲した書き方をしましょう。

しかし、私の解釈は従来の理解とは大きく異なります。
問題はその宿命の本質、宿命とは何なのか、というところです。
生まれ変わりの研究では、人は人生の計画、ブルー・プリントをあの世で作成し、それを携えて生まれてきます。
つまり、その魂がこの人生で「絶対にやろう」「これは体験しておこう」と思っていることがある、ということです。
たとえば私たちが旅行に行くとします。
讃岐へ行くとしましょうか?
すると「讃岐うどんを食べるのは外せない」とか、「金比羅さんへお参りするのもやっておきたい」とか、計画を立てるのと同じです。
この「外せないこと」が、宿命です。
高度に成長した魂ほど、それらの中に普通では耐えられないような苦しいこと悲しいことも含まれてきます。

私たちがこの世で体験することの中には、理不尽で耐え難いように思えることもあります。
自らの行いが原因で、その出来事がより悪化された状態で起きてしまうこともあるでしょう。そんな原因を作っていなくても、どうしようもなく起きてしまうこともあるでしょう。
これらは、今生きている私たちが「頭で考える、自分にとって都合の良い人生」の要素でない可能性もあります(もちろん、想像を超えた良いものである可能性もあります)。
そして、キャンセルできない出来事もあるのだと、知っておいた方が良いと、私は考えます。

その方が心に余裕が生まれるからです。
それは私たちを、理不尽な出来事にさえ対応させてくれるかも知れません。なぜなら、受け止め方がまったく違うからです。

星の力も、本人の意志で変え得るものと、変え得ないものがある。
ただし、その変え得ないものも、じつは本人の(魂の)意志だということです。


本人の意志は、人生を構築する上で、もっとも重要で決定的な要素です。
意志が運命すべてに対して無力であるのなら、私たちが現実を生きる意味もなくなってしまうでしょう。
多くの物事に対して、意志の力は有効に働きます。

もし、その人の意識が100%開かれたなら、そのときはもしかすると「外せない」ことさえキャンセルできるようになるのかも知れません。
なかなか覚者になるのは難しいかも知れませんが。
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薫由記さん。
あなたのホロスコープ・チャートも、なかなか好きですよ。とくに私との関わりにおいて。