昨日、TVの報道番組でもピョンヤン市民の悲惨な生活状況が映像で流されました。
市民の疲弊ぶりは極限に近いような印象を受けました。
「こんな状態に国民を追いやってまで、いったい、この国の指導者はなにをしているのだろう……」
<2009年の予測>を立てた頃、年末年始の多忙さや市民文学賞の原稿読みなどに呑み込まれ、あまり細かい個別の予測を立てることはできませんでした。
北朝鮮は今年どうなるのか。
なにを考えているのか。なにかやらかしそうか?
2009年前半期(夏頃まで)の北朝鮮のMCのサビアンシンボルは「野ガモの三角飛行」です。
整然と並んだ飛行編隊にも意味があります。それは自然の摂理、原理です。この野ガモのシンボルには、そうした大きな理(ことわり)を人間の生活にも持ち込み、生かしていこうとするものがあります。
これだけならなんということもないのですが、サビアンシンボルを解読する際には、その前後のシンボルに着目すると流れが理解しやすいということがあります。
「野ガモ」の一つ前のシンボルは「国家の支配者」、一つ後は「成功しなかった社会抗議を示す不発爆弾」です。
「国家の支配者」は強権的なシンボルで、勝つか負けるかという短慮な行動として現れることが多いシンボルです。「不発爆弾」は事態や社会の性急な改革を進めようとするシンボルですが、不発爆弾というとおり、深い考えもないために失敗することが多いシンボル。
どちらもせっかちで性急なシンボルで、うまく行かないことを暗示する傾向があります。
そのはざまのシンボルが「野ガモ」です。
国家の支配者が今の北朝鮮指導者であり、不発爆弾は現状を打破するためのデモンストレーションと考えられます。このはまざで揺れているのが前半期の北朝鮮の国家としての姿勢です。
ここから単純に読み取れるのは、今回のミサイル騒動も国際社会という大きな世界に相対したとき、北朝鮮が本当に取るべきなのは、世の理(ことわり)を自国に取り入れることだということです。
ところが、北朝鮮は自然や世界との折り合いを、ミサイルや強権でつけようとしています。
これではうまく行くはずがありません。
ミサイルはおそらく発射されません(不発だから)。
仮に発射されたとしても、それで国際社会との関係が有利に傾くはずもなく、むしろいっそう孤立を深めていきます。
同時期のASC(アセンダント)は、「高価な住宅の密集する渓谷に吹く暴風」です。
ミャンマーのサイクロン被害時にあったサビアンで、自然災害が北朝鮮を見舞う可能性があります。
山間の渓谷や、「高価な住宅」ですから、都市部での災害ということも考えられます。
夏以降の後半期のMCのサビアンシンボルは、「とても年とった男が、広大な暗やみの空間に直面し、北東の方向を見ている」というものです。
なんとなく金正日の孤独な背中を想起させます。
このMCの裏サビアンは「恐ろしい顔つきで馬に乗るインディアンの戦士が、ベルトに人間の骸骨を吊している」というものです。
これは自分の権利や利益を守るために取る恐ろしげな行動を意味します。
この二面性が北朝鮮の国家とその指導者に表れると思われます。
対外的には「威嚇」、そして内的には「空虚」。
後半期にはさらに厳しさを増す経済、食料問題が暗示され、脱北者がかつてなく増えるでしょう。
後継者問題ですが、どうも暗闘の果てに良くない事態が待っているような印象を受けます。
拉致問題については解決に向かう光のようなものは、残念ながら読み取れませんでした。どちらかというと、前半期の方が話し合いの余地があるように思えます。
金正日の心の闇、そして末期的な国家としての状況。
北朝鮮はさらに孤立を深め、裸の王様となっていくようです。
