祈りの力は馬鹿にならない |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

今朝は妻がまだ旅行から帰っていないので、早起きして息子の弁当を作ったzephyrです(ついでに自分のも。娘は学食で済ませてくれるとのこと)。

息子はここ数日、胃腸の調子を崩していて、あまり濃いものは食べさせられないので、卵焼き、冷凍の「えびとひじきのふんわり揚げ」、キャベツ、タマネギ、ニンジン、カニ風味のオーシャンスティックの炒め物などで弁当を作りました。単純なものしかできないzephyrです。

朝食にしてもそうですが、妻は毎日毎日、私たちのために欠かさずに作ってくれます。
指先を冷たくしながら、ありがたみを再認識しました。

さて、前に娘が交通事故を起こしそうな運気だという記事を書きました。
娘は運転免許初心者。他に交通機関がないので、自宅から大学まで32㎞を車で通学しています。
K配ぜんのAさんが、私の家族が事故に遭い、生死の境をさまよっているという知らせが入る夢を見た、ということを伝えてきて、運気を調べたら娘が一番危険だった、というものです。
そこで私たち家族は、4人で手をつないで家族のみんなが守られるように祈りを行いしました。

昨日のこと。
妻不在の我が家から娘を送り出した後、その娘から電話がかかってきました。
どきり。
「いつも通る道の踏切が、工事で通行止めになっているの! 遅刻しちゃうから、別な道を教えて!」
しかし、娘は普段通る道以外のルートはほとんど知りません。言葉で説明しても、
「それどこ?」「ええ? わからない」の繰り返し。
かなり遠回りになりますが、唯一、彼女が知っていそうなルートを通らせることに。

結果的には講義の出欠には間に合ったようで、事なきを得ました。

そうすると、また電話が。
父を訪ねてきた人物が、我が家を見つけられず、道に迷い、挙げ句の果てにどこかで軽トラックを土手に乗り上げあせて、立ち往生していると。
本人は自分の居場所も分からない始末。
とにかくあのあたりだろうと当たりを付けて向かうと、土手に荷台を乗り上げさせ、リヤタイヤが空転している軽トラックを発見。
何人かでなんとか脱出させることに成功しました。

電話連絡で救援を求められる。
車に関するトラブル。

今日はこんな日なんだなあと思う半面、これがおそらくこの時期に本来あった危険な運気が、別な形で変換されたものなんだろうなと感じました。
つまり娘が事故に遭う代わり、このような形でいくつかの出来事に分かれて現出した。
もちろん、これですべてが解消したとは断定できませんが、占星術的な観点ではこのようなことは大いにあり得ます。

ある星が巡ってきているとき、その星の効力がゼロになることは考えにくいのです。
何らかの形で現象化するのですが、それにはいくつかの選択肢や変化の幅の中で起こってきます。
たとえば金星が巡ってきたときに、その人はお金に恵まれるかも知れません。
しかし、ずっと愛し合える女性と巡り逢いたいと願っている孤独な男性だったら、そのときに素敵な女性と知り合うかも知れません。
また今回のケースのように、対処の仕方によっては、「大難を小難に変える」ことも可能です。

何か不穏な運気や出来事に対して、「祈り」はきわめて有効だと、個人的には感じています。
人間の思念、意識は、この世を成立させている基本だと思っているからです。
だから、自分だけでなく、何人かの同調する意識が合わされば、その祈りは大きな力となって、加護や祝福を与えてくれる。
家族、あるいは仲の良い友人とでもいいのですが、何かを良い方向へ変えたいと思うとき、誰かを救いたいと思うとき、祈って下さい。
気休め以上の効果があります。

私の今日の祈りは、妻が無事に帰ってくること、そして家族みんながまた夜になったら顔を合わせられること、です。