私が大学でやっている講義は、無試験です。
出席を重視し、その出席はランダムに配布されるプリントを書いて提出することで、集計されます(つまり毎回毎回出欠は取らない)。
またプリントに書かれている内容を非常に重視する回もあります。逆にただ書いて出すだけで、単位取得に有利になる温情プリントもあります。
しかし、毎回きちんと提出しておけば、単位が取れないことなど、まずあり得ない。
と、このようなことは最初にちゃんと説明済みでした。
最終講義日、3人の生徒さんが泣きついてきました。
すべて4年。単位が取れるかどうか確認させて欲しい。
その3人に関しては、絶望的でした。就職も厳しいこのご時世……。
聞いてみると、ほかの講義の単位も追試に頼る状態。
「追試とかないんですか?」
そもそも、試験がないんだから、追試なんかあるわけないやろが

見てみると、プリントの提出回数は3回、ないし2回。
私は7回、プリントを配っています(つまり講義のほぼ2回に1回は配っている)。内、1回は最終講義日に提出するように、かなり以前から配布していたもので、このプリントはどちらかというと例外的なもの。
つまり、彼らは後期の講義に、1回か2回しか出席していないわけです。
こんな生徒さんに、いくら懇願されても単位を出すわけにはまいりません。
デウス・エクス・マキーナの検索で、このブログにたどり着いた生徒さんもいるようなので、誤解のないように申し上げておきますが、いくら4年で、困っていて、直訴されたからといって、私が情に絡んで単位取得の可否に手心を加えるなど、あり得ない話です。
そんなことをしたら、講義の方針はどうなる? ましてや、これまで真面目に出席して、きちんとプリントを提出してきてくれた生徒さんたちに失礼です。
真面目に講義を受けてくれた生徒さんたちというのは、だいたい授業中も顔を上げてくれていますし、すべてではないですが、顔もわかっています。
そして、逆にたとえば――。
あ、今日はプリント配りそうにないな。じゃ、フケてやろう。
そう考えて、講義途中で教室を出て行く生徒さんについても、なんとなく見ているものです。
残念ながら、直訴してきた生徒さんの内の1人には、このフケ組の顔としての記憶が、私にはあります。
当然と言えば当然の帰結。
つまりそういう学生生活を日常的にしているからこそ、他の講義の単位も危うくなるわけで。
「話は聞きました。後はお祈りでもして下さい。でも、単位が出なかったといって、殺さんようにしてくれよ」
と言うしかありませんでした。
次からは単位取得についての質問には答えないようにしたほうがいいな、と反省しました。
私も人間ですから、困っているんだと懇願されているのに落としたら、それなりに後味が悪い。
大学の先生というのは、やはりある意味、権力者みたいなものだなと痛感しました。単位という権力を持った。
だからこそ、情実に絡んでいい加減なこともできないし、えこひいきもできない。
本当は火曜日、最後に回収したプリントの採点を行い、教務課に採点表を提出して帰るつもりだったのですが、最後のプリントはびっしり書き込んでいる生徒さんが多く、まともに評価するためには時間が不足していて、自宅に持ち帰り、ゆっくり評価することにしました。
やはりちゃんと書いている人の文章は、読まなければ。