職に関する考察 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

「100年の一度の不況」と言われていますが、雇用環境の崩壊速度を見ると、本当にその表現は大げさなものではないように思えます。
仕事、職という問題は、人間にとって非常に重要です。
人が社会性を維持し、しかも経済原理に従って生きるならば、仕事とは無縁ではいられません。
また仕事を行うことが、自分の存在意義の認識や生きがいにつながるということもあります。

占星術で鑑定を行うときも、「恋愛・結婚」に次いで相談が多いのが、やはり仕事のことなのです。
先日来から、職の問題についての相談がいくつか相次いだこともあり、この記事を書く気になりました。
なんでもいいから仕事をしたい、という切実な思いを持つ人から、自分に合った仕事を探したいと思っている方まで含めて、参考にして頂けたらと願います。

私は職には、「天職」「適職」「縁職」の三つがあると思っています。
天職はその人が運命的に持って生まれた職業運で、たとえば松阪大輔選手やイチロー選手が野球をやっているようなものですね。もちろんご本人の努力あってのことですが。
適職もまた言うまでもなく、その人が才能や適性を持ち、その職に就労することに適合していると考えられる職です。
が、「縁職」って、ナニ? と思われると思います。
占星術で鑑定していると、あきらかにその人には不向きな業種なのに、それをやっているという方もいらっしゃいます。適性もなく、もちろん天職でもない、しかし、その業界で働いている。
こういう実感を持たれている方は、意外に多いと思います。

天職や適職に就かれている方については、あれこれよけいな心配はしなくて良いでしょう。その道で懸命に励んで下さい、で良いと思います。
しかし、縁職に就かれている方は、「縁あってその仕事をやっている」だけの人ですから、日常の業務から受けるストレスも多く、様々なことで悩まれるようになります。
「合ってないんじゃないか?」「もっとほかに良い仕事があるんじゃないか」
そんな思いですから、雇用条件がちょっと悪ければ、よけいにそのことも気になりますし、不平不満も募ってきます。

こうした職業に従事している方には、おそらく「それを行うことで得られる何か」が背景にあると思われます。
たとえば私の周辺にも、あきらかにサービス業などには向かない性格なのに、その仕事に長年従事しているという方がいます。しかし、サービス業には無理矢理にでも言わなければならない言葉があります。それはお客様に向かって言う「ありがとうございます(ありがとうございました)」です。
この素晴らしい言葉を、サービス業に従事している人間は、何万回も口にしなければなりません。
このことには重要な意味があると、私は常々考えています。
もしその人が、感謝ということをあまり知らず、人のことも評価しないような人間であれば、明らかにこれはサービス業向きではありません。しかし、その職に身を置くことで、それを「矯正」できるのです。

あるいはその職場にいなかったら、運命の人とは出会えない、といった仕組みがある可能性もあります。
欧米で行われている、生まれ変わりの研究によると、中間生(つまり、あの世)で人の魂は次に生まれるときの計画を立てると言います(これをブルー・プリントと呼ぶ人もいます)。
その中には自分の親、環境、人生の大まかなプロセス、そして出会うべき人、持つべき子供、さらにはどんなことをして生きて行くか(仕事)、なども含まれているわけです。それがどのような苦難に満ちたものであっても。

今の地球に生まれて生きていく以上、私たちは仕事から多くの体験を得ます。
これは事実です。
ブルー・プリントには当然、そのことも計画の中に含まれているはずです。

だからこそ、「合わないと知りつつ、それを乗り越える努力を行う」ということも、重要な自身に課した試練になっている可能性もありますし、心ならずも選んでいるその職場には、別な意味が持たされているのかも知れません。
これが「縁職」を生む要因だと考えられます。

私たちは今、世代的に大きな苦難に直面しています。
これらが起きることも、私たちは知っていたかも知れません。
この苦難を乗り越えることもまた、私たち1人1人に課せられた試練なのかも知れません。

そこで私の昔のことを、恥ずかしながらお話しします。
サービス業に入った頃、私は実はひどく悩んでいました。
接客など自分にはまったく向いていないと思い込んでいましたし、サービス上、覚えることは山ほどありました。また難しいフランス語ばかりのレストランで、厨房のコックとの関係も悪い時期がありました。
毎日、出勤するのが嫌で、出社拒否症状が起きていました。
適性と人間関係。
誰もが職場で悩む問題です。

しかし、私は家族を養わなければならなりませんでした。甘いことは言ってられません。皆さんの多くがそうであるように、毎日、気力を振り絞って出かけていきました。
もし、私にちょっとだけいいところがあったとしたら、それはサービス業務でも人に聞いたり、フランス語のアラカルトのメニューや用語なども自分で調べたり、カクテルの安直リストを作ったり、とにかく覚えることはがんばったと言うことです。
それでも、なかなか人間関係までは改善されません。

毎日、9階にあるそのレストランに上がっていくエレベーターの中で、自己暗示をかけるのが習慣になっていました。
「今日も大丈夫。ノーミスで仕事が完璧にできる。厨房ともうまく行く」
私はいつまでもこの状態は続かない、いつか変わるときが来ると信じて、とにかく苦しい時期をくぐり抜けました。

あれほど自分には向かないと信じ切っていたサービス業が、いつの頃からか、お客様に喜んでもらえるというサービスの送り手としての喜びも感じるようになって来ました。
そして、あるとき、毎日が罵詈雑言のようだった厨房の当時のコック長との関係が、突如、一変しました。
この理由は今を持って分かりません。
彼は手のひらを返したように友好的になり、時には世辞まで言う始末。
たぶん私の知らないところで、何かがあったのだと思います。

その頃から私のサービス業は、充実したものになっていきました。
しかし、その苦しい時期にその職場から逃げ出していたら、いまだに「向かない職業」だったに違いないのです。

占星術的には、たしかに向き不向きというのはあります。読み取れます。
しかし、現実的には「向き不向き」というのは思い込みが作り出しています。

こんなこともあります。
私はずっと自分がスポーツのできない、鈍くさい人間だと思い込んでいました。
これは少年青年時代を通じて、私の中に強固にあった思い込みです。
ところが、ある年齢に達して身体を動かしてみると、同世代の人間に対して、私の方がずっと俊敏であることを知る機会がありました。
鈍くさくないじゃん?

では、その思い込みはどこから生じたのでしょうか?
私は兄と2人兄弟でした。
僻地です。遊び相手は兄ぐらいしかいませんでした。
この兄とよくピンポン球にビニールテープを巻いて強くした球と、プラスチックのバットで野球をしていました。
二人っきりでする野球ですから、独自のルールがあって、どの辺に飛んだらホームランとか、二塁打とか、いろんな決まり事がありました。
今、思い返してみると、このとき私はちょっとは楽しかったのですが、ほとんどの場合、兄の機嫌ばかりを気にしていた記憶が残っているのです。
兄は気むずかしくて、私の方が優位に立つとひどく不機嫌になり、口も利かずにゲームを続行していました。
そんな中で、私はいつか兄には勝たないように下手くそであることを自身で選択していたようなのです。

また他のテニスとかピンポンとか、そういったことで遊ぶときでも、私がミスをすると兄がひどく怒り、私の下手さ加減を責め、最後には「おまえじゃ、相手にならん。やめた!」という感じでした。
当時の私は、自分の鈍くささのために兄を怒らせてしまった申し訳なさでいっぱいでした。そして、自分はこういうことがダメなんだと思い込むようになりました。

どうやら、私が自分のことを鈍くさいと思い込んでいたのは、この少年期の兄との関係が原因でできた思い込みだったようなのです。
今でも私はスポーツが得意なわけではありませんが、一般的な意味で極端に運動能力が劣っているわけではなく、同年代ではむしろ普段身体を動かしている分、ずいぶん身体が軽い人間です。
もし、兄という存在がいなければ、私は運動分野で、あれほどコンプレックスを抱くことはなかったでしょう。
もちろん、ここで恨み言を言いたいわけでも、幼かった頃の兄の旧悪を糾弾したいわけでもありません。

ただ、このような形で「思い込み」は作られ、そしてそれが「向き不向き」につながっていくということを申し上げたいわけです。
しかし、思い込みは所詮、思い込みです。
接客業などには向かないと思い込んでいた私。
その殻が打ち壊された今は、接客業はやり甲斐のある仕事になっています。

今、巷には多くの失業者が溢れていますが、職業選択の際、「これはできない」というようなことが障害になってしまうこともあるでしょう。
しかし、それは本当にできないことでしょうか? 向かないことでしょうか?
考えてみれば、どんな仕事にもそれに従事している人がいて、その中にはその仕事に喜びを感じている人も確実にいらっしゃるのです。
ならば、その1人になれないわけでは、決してないということです。
可能性まで否定してしまっては、この厳しい時期を乗り切ることは難しいかも知れません。

何でもいいから仕事が欲しい、それでもないんだ、という方もいらっしゃるでしょう。
私は前々から、農業のことを申し上げています。
今、地方の農家で若い働き手がいなくて困っています。
そうした農家が、新たな職の受け皿になってくれないだろうかと考えます。
畑仕事なんかできないと思い込まないで下さい。
農作物が実り、それを自らの手で収穫し、自分で食べたり、人に食べてもらったり。
「美味しい!」
そんな喜びは、他ではなかなか味わえません。
やってみたら面白いかも知れません。

こんな時期だからこそ、助け合う。
そんな話もニュースで聞くようになりました。
苦難の時こそ、光も強く輝くものですね。

人の心に愛が、世界に調和が満たされますように。