よく結婚して、子供ができると子供中心になってしまう方がいます。男でも、女でも。
妻よりも子供、夫より子供。
パートナーであるはずの配偶者よりも、気持ちが子供へ傾いてしまう。
私の周辺にも、そういう方がいらっしゃいます。
実際、子供が生まれたら生活の中心がそちらへシフトしてしまう傾向はあります。否応なく。当たり前ですが。
生活環境によっても違ってくるでしょうが、我が家はとくにそうならざるを得ませんでした。
しかし、私は「家族」の基本は夫婦関係にあると思っています。
子供にしてみれば、いかに自分のことを可愛がってくれても、親同士がしっくり行ってなかったり、仲が悪かったりしたら、それは一つの「不幸」です。
夫婦が仲良く暮らしている家庭の子供でいてこそ、その子は「幸せ」の意味を、頭ではなく肌身で知っていくような気がします。
だから、と理屈で考えた結果では決してないのですが、私はどんなに子供が生活の中心になったときも、妻の存在を軽んじたことはありませんでした。
前にもブログに書いたことがあるような気がするのですが、私は結婚記念日がやってくると、かならず妻に言葉にして伝えて来たことがあります。
「一年間ありがとう」
「次の一年もよろしくお願いします」
しかし、今年はもっと特別な意味がありました。
20年。
そう、今日は私たち夫婦の成人式みたいなもの。
だから、絶対にいつもとは違う形にしようと思っていました。
妻はプレゼントなどなくても、ちゃんと覚えていて、感謝の気持ちが伝われば、それでいい人です。
心があれば。
心はある。でも、今年は思い出を作ろうと思ったのです。
普段勤務しているホテルの和食レストランを予約。こっそり花束の手配もしました。
いつものカジュアルな服ではなく、ちゃんとスーツを着て、おしゃれをして、2人で出かけました。
まずは妻のあるお友だちの誕生日プレゼントを買い、それからホテルへ。

私の画策していることなど、妻にはお見通しだったでしょう。さして驚きもしませんでしたが、私もびっくりさせようとかいう意図はありませんでした。
妻へのプレゼントというよりも、20年、ちゃんと夫婦をやって来た自分たち、愛し合って来られた私たちへの花束です。
私と同じK配ぜんのYさん、Fさん、Yさんなどがスタッフとして入ってサービスしてくれる中、驚くほどボリュームのある食事がテーブルに並び、私はビール、妻はお茶。
雨が降りそうだった空には陽差しが。
ゆっくりと過ごしました。
「20年間、いろんなことがあったね」
「そうね」
「刺激には満ちていたね」
「ほんと。刺激という意味では」
月並みな会話でも、思い出す過去は、人それぞれのオリジナルストーリー。
苦労話などここではしたくありませんが、それ今、ここで妻と2人、過去のものとして語れる喜びと幸せは、たしかに私たちの胸にありました。
「これからの20年のために」