これから四ヶ月弱ほどの間に、私はきわめて重要な時期を迎えます。
というよりも、すでに迎えています。
ここ一週間ほど、私の身辺で急激に動き出している気配があります。
いったい、どうしたの? というような流れです。もちろん別に悪いことではないのですが。
だいぶ前になりますが、自分のホロスコープを久々に開いてみたとき、そういう星が巡ってきているのを発見していました。
「ああ、たぶん、あれなんだろうなあ」と胸落ち。
気づかずに過ごすよりは、気づいて意識的に過ごす方が、有意義ということは言えるかも知れません。
しかし、たとえば金運絶好調みたいな日を発見して、その日にギャンブルをしたら絶対に勝つのか? というと、実はそうでもありません。
それを意識しすぎることで、逆に星がうまく機能しなくなってしまうこともあるのです。
だから、鑑定を行っていて、先のことがよく見えても、あえて相手にはぼやかした情報しか伝えないこともあります(良いことの場合)。
たとえば未婚の女性なら、将来結婚するであろう男性がどんな人なのか、知りたいのは当然です(希に、知るとつまらないから知りたくないという人もいるでしょうが、そういう人は占いに来ないものです)。
占星術では、将来の配偶者像をある程度見ることができます。
人によっては、それが非常に明確に出ていることもあります。たとえば何座の生まれの男性だとか、職業はたぶんこういう系統とか。
しかし、それを絶対的な情報として相手が受け取ってしまうと、意識しすぎて相手との出逢いを阻害してしまう可能性もあるのです、実は。
だから、「神(かん)ながら」の姿勢が一番良いのです。
あるがままに。
天を信じて。
自分を信じて。
私が自分自身の占いをあまりしないのは、そういう考えもあってのことです。
しかし、そういう態度でいられるのは、私自身に今、抱えている大きな問題がないからかも知れません(本当はないわけではないのかも知れませんが、私は逆境に強いタイプなので)。
もてあますようなトラブルや逆境にあるときには、星々を意識することが解決につながることがあります。
占星術は心理療法と似たところがあります。
たとえば「水が怖い」という原因の分からない症状についても、やはり普段は思い出せない記憶層の中には原因となる体験が潜んでいて、退行催眠などでその記憶を思い出せば、「知ること」が「解消」につながっていく効果があります。
「知ること」「思い出すこと」は、人の人生を決定的に変える力があります。
そういう意味で「予知」というのは、重要な機能があります。
未来のことを予知するのは、文字通り、予め知るということです。
当然、そこには知ることで問題を解消する、変えられるようになる、という意味合いが含まれています。
人間の意識には、過去も未来も区別はありません。
過去のトラウマを知ることで解消できるように、好ましくない未来も知ることで変えられます。
予知というのは、私の中で絶対に決まっている運命の解読ではなく、今が創造しつつある未来像の解読です。
もちろん創造の源が変化すれば、未来像も変わります。
詰まるところ、問題点は意識した方が良い。
好ましいことは意識しないでも良い(努力さえしていれば)。
そういうことですね。
ということで、私は今日も神なんがら。
仕事に行って参ります。