祈りがあまねく広がりますよう… |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨夜、11時30分。
そのとき、私は仕事を終えて帰宅する途中でした。もう自宅にほど近い山道で、車を坂に止め、その場で祈りを捧げました。
どこかで、同じように人や世界の調和を願ってくれる人がいることを信じながら。

前にも一度、皆さんに呼びかけて同様な祈りを行ったことがありますが、今回は急に思い立ちました。事前の呼びかけもほぼ行えなかったので、参加して下さる方は少なかったかも知れません。
急に切迫感が生じ、「今日しうておこう」と思いました。

祈りは一つの現実的なパワーですから、効き目がないとは思いません。
それどころか、何人かの同じ意志が集まれば、想像を超えた作用をするかも知れません。これで震度5の地震が2や3に抑えられたり、また何度かの弱い地震に分散されたりすれば、それが一番です。
前にもちょっと書いたことはありますが、日本の中にはそのような祈りの力で地震のエネルギーを拡散させているグループがあるという話です。もちろんトンデモ話に近いので、裏が取れるような情報ではありませんが、なにもしないよりそういうこともあると信じて何かした方が、個人としても全体としても世界は良い方へ変わる気がします。

何をやってもどうせダメだ、という諦念は、自分一人が何かしたって地球環境をどうにかできるわけじゃない、という態度へつながっていきます。
結局、なにもしないし、それどころか、その考えだと世界は悪くなっていく一方だと認めることにつながりかねません。
もっとも祈ってさえいれば救われるというような態度もまた、私は好きではありません(難しいね、どうも)。

隣人に自分の思いが伝わりますように、なんて祈る前に、自分ではっきりそう言え! ということですね。できることはやらないと。

jijiさん。祈りに参加して下さったそうで、ありがとうございます。
きっとあなたのような方がいらっしゃると信じていました。
過分なお言葉を頂きまして……こちらこそ、よろしくお願い申し上げます。

私に疑問のメールを送ってくれた女性も、記事を読んでくれて、納得してくれたようです。ただ、世の中は不思議に満ちています。
分からないことだらけで、自分もいくつもの学びの過程にある身です。
でも、だからこそこの世は面白いし、生きている意味もあるように思います。

物語の顛末を先に知ってしまって読む推理小説は、とてもつまらないのと同じです。