Tさんは不思議な女性だ。
彼女と知り合ったのは、勤務先のホテルのバーでした。常連の方が連れてこられた女性の1人で、たまたま話が私のやっている占いの話になり、
「へえ~、それじゃやってみてください」
と、なにやら懐疑的。
まさかバー・カウンターの中でパソコンを開いて、占星術をするわけにも行かないし、カウンターの上でタロットカードを展開するわけにも行かない。
ので、その場でできる数秘術を使って、彼女の簡単な占いをしました。
数秘術は、名前と生年月日さえ分かれば、ちょっとした計算ですぐにできます。
「なによりも『自分』。『自分』がどうする、何をするというのが重要な人ですね。他人がどう感じるか、なんていうのはあまり関係がない」
私は端的に表現した。
「ここへ来るまでの会話を聞いていたんじゃないんですか」
「ここへ来る前の会話なんて、どうやって聞くんです」
どうやら非常に正確な表現だったらしい。
その後、きちんとした占いをすることになったのですが、その場でも彼女はやはり懐疑的。
タロットカードを展開すると、その絵物語に納得しながらも、解説を加えていくたびに、
「作ってません?」と冗談半分に疑う。
私はそのたびに、カードの意味を自分でまとめた表を見せ、私が口で言ったことと同じ事が書かれているのを確認させねばなりません。
「ほんとうだ……」
と、悔しそうに言う。
占いの度にこの繰り返しです。
半分疑いながらも、納得せざるを得ないので、一応信用しておく。
これが彼女の、私の占いに対する態度です。
じつはこれが、非常に健全なのです。
こちらの言ったことを絶対のように受け止めるのは危険です。
占術家も人間ですから、間違うこともあります。
カードや星は正確に出ていても、解読を誤ることがあります。
また、世の中にはいい加減なペテン占い師が溢れています。
どうか、皆さん、このTさんの態度に学んで、バランス感覚を失わないで下さい。
占いは単なる指標に過ぎません。
あなたがたの意志と選択こそが重要なのです。
というような話も、じつはこのTさんがもっとも良く理解しています。
彼女はこのブログも時折読んでくれているようで、過去記事のいくつかの事例もすごく納得できると、先日電話で言ってくれました。
「占いは医者にかかるのと同じ。症状の悪いところがあれば来て、医者に診てもらい、処方箋を書いてもらい、薬を出してもらう。ちゃんとした占いをしていれば、それで改善できるはず。そんなに何度も何度も来るリピーターになる必要はない」
「Aにすればいいのか、Bにすればいいのか、という質問が良くあるが、本当の意味で『良い』『悪い』は存在しない。事態が変化すれば、そのとき悪かったと感じていたことも、結果的に良かったんだと感じられるようになる」
などといったことも、きちんと理解されているので、もし彼女の占いを次にすることがあるとしても、私はすごく安心していられます。
半分疑いながらも、たくさんのお客さんを私に紹介して下さいました。
疑うというのは、本気で疑うのではなく、たぶんバランス感覚で足場を残しておくといった態度なのでしょうね、彼女の場合。
本気で疑っているのなら、私のことを知人に広めたりはしなかったでしょう。
「本当ですかあ~?」
と顔をしかめながら、それでも私が「やってみなさい」とか「この本を読んでみなさい」といったことは、きちんとやっている女性。
彼女の望む幸せへのプロセスは、なかなか多難かも知れませんが、でも、私との出逢いで少し人生が変わったかも知れない、これまでと違った見方ができるようになったというTさん。
占いを信じるかどうかなんていうのは、実はたいしたことではないのかも知れません。
要はそれが役に立ち、本当にその人の幸せのためになるかどうか、ということを考え、有効ならやってみたらいいじゃん、というのが健全な姿勢なのだと、Tさんを通じて感じた私です。