一年の計は元旦にあり、という。
2007年の元旦、私は倒れた。朝、いつものように起きるには起きたものの、目覚めたときからこめかみのあたりがドライアイスでもそばにあるのかというほど冷たくて、頭痛が炸裂していた。
ふらふらで家族の前に顔を出すと、
「お父さん、真っ青だよ」
「だいじょうぶ、パパちゃん」
見た目にも、皆が心配する状態だった。もちろんご飯なんか食べられない。自分が死人みたいに冷たく感じられ、ソファにどさっと腰を下ろすともう動けなかった。
娘、息子、家内がよってたかって「気」を入れてくれたが、どうにもならない。
何度も吐いた。吐くものがなくても嘔吐は止まらなかった。
時間が経てば、なんとかなる。今日は仕事を休めない。絶対に行かなくては。
そう思って耐えた。
体温は25度。
たぶん血圧も急激に低下していただろう。
いっこうに症状は回復しない。
はたと時計を見ると、もう普通なら出勤しなければいけない時間が迫っていた。
ダメだ、これは……。
あきらめ、とうとう仕事を休んだ。
当番医のところに連れて行ってもらったが、自力歩行も怪しい。息子の肩を借りた。
「過労とストレスでしょう」と、医者の言葉。
慢性的究極的人手不足のホテルでの長い勤務。そして私はその頃、「ノー・ソリューション」を4月刊行に間に合わせるため、非常な無理をしていた。
文学賞の原稿読みも溜まったままだった。
その日、家内と子供たちは家内の実家に出かけるようになっていて、私は布団の中でひたすら症状が軽減されるのを待った。
その日の夜には、わずかに食事が喉を通るようになった。
ひどいものだった。
翌日にはホテルに出勤できたが、身体には芯がないような感じだった。
「思わしくないスタートになってしまったじゃありませんか」
というようなことを、薫にも言われた。
この出来事は、警告だと私は感じた。
18年間、SKホテルで働き続けてきたが、これまでと同じような勤務の仕方をしていると、他の仕事との兼ね合いもあって、自壊に追い込まれてしまう。
はっきり、そんなことを感じた。
2007年を振り返ると、この出来事が象徴していたと感じる。
私は夏、SKホテルを一度は退職した。
K産業のM社長からの誘いがあり、私にとってはなかなかの好条件で迎えてくれるという話だった。
ホテルも長い間ずっとアルバイト、パートという形で勤務していた私だ。
失うものなどない。
来年には娘が大学に行く。そのためにはどうしても収入をアップさせ、別な生活を手に入れる必要もあった。だから私は、M社長からの誘いなどなくても、年内にはかならずホテルは辞めていただろう。
ホテルを辞めるちょっと前、身体に不穏なものも感じ始めていた。
「やばいな」と思った。このままでは本当に……。
すべての条件が揃っていた。M社長の誘いを断る理由などなかった。
しかし、実際にK産業の中に身を置くようになってみると、とんでもない実態が明らかになっていく。
会社などとは言えない、組織の形態を持たない、実際は超ワンマン放漫経営。
気に入らない人間は次々に首を切る。
朝言ったことが夕方には変わる。
私はホテル勤務で培った精神力や処世術で、その職場でもうまくやっていた。
しかし、私がその場にいれば、椅子取りゲームにあぶれてしまう人もいた。彼は明白に私を追い出したがっていた。
社長が私にさせようとしていた最初の仕事は、関連企業の協力を得られず、頓挫。
そして最初、社長が口にしていた条件も変わってきた。
「これでは困ります」
社長が譲歩したのは一点だけで、根本的な改善はなかった。
この段階で私はこのK産業からの撤退を決めた。
K配ぜん(Kばかりでややこしいが)のAさんが、現場復帰を勧めてくれたのも励みになった。
私はK配ぜんに籍を置き、また元のサービス業に復帰することにしたが、なんのことはない。結局、配ぜんスタッフとしてSKホテルに戻る運びとなった。
K配ぜん、SKホテル、双方にとってそれがメリットが大きかったから、そしてAさんが私の生活のことも考えてくれたからだ。
一度は辞めたホテルに、私はこうして恥を忍んで戻ることとなった。
配ぜんスタッフ、そしてホテルのスタッフ、多くの人が笑顔で迎えてくれた。
一度現場を離れたことで、また気持ちを新たにすることもできたし、以前のような過重労働は軽減された(が、こうしたどさくさに紛れ、予定していた「リメンバー」の第一稿完成は、大幅に遅れることとなった)。
先日来、私が復帰したことを知ったお客さんが何人か、訪ねてきてくれた。
そのうち、ホテルの最も古くからのお客さん、Kさん。
五ヶ月ぶりにホテルにやってきて、閉店までの4時間、バーでずっと私と時間を過ごした。
ありがたいと感じる。
娘はこの冬、早々と大学に合格し、まずは一安心。
私は気持ちにだいぶ余裕ができた。
「リメンバー」と「レガリア」は、じわーっとだが、先へ進んでいる。
労働時間そのものは前と変わらないので、そうそう早くは進めない。
しかし、前のような切迫感はない。
生活が一度、根本的に破壊され、立て直される。
そんな1年だった。
私にはM社長を恨む気持ちなどない。
むしろこの立て直しに協力してくれた役者の一人だったのだろうと、感謝さえしている。
また私を今取り巻いている多くの人々、すべてに感謝している。
みんなが私に力と勇気を与えてくれた。
ZEPHYRスタッフの薫、薫葉、紫月。
ブログにも時々、現れる女探偵K。ひまありさん。ヒメヒコさん。大分のKさん。
そして、私と同じように新しい道を踏み出したはっちさん。
K配ぜんのAさん。そして所長。
皆さん、ありがとうございました。
来年もよろしく。
そしてなにより、家内と家族に感謝を。
私のまわりには愛が溢れている。
でも、願わくば、次の元旦はもうちょっとましなものにしたい。