ちぃさんのコメントにあるように、たしかに結婚に踏み切れるとき、というのは不思議な弾みというのか、勢いというのか、予定されていたパズルのピースがやってきて、ぴたっと合うみたいな感覚はあると思います。
逆にそれがないときは、なんらかのストップがかかっている可能性も否定できません。
ただ、そういう感覚も特になく結婚し、うまく行く人もいると思います。何年も長い春を過ごした挙げ句に、「そろそろしようか」みたいなカップル。あるいは女性のほうには激しい迷いがあったが、男性のほうに押し切られて結婚したが、結果的にうまくいっているとか。
はっきりと「これ」という見定めができる人のほうが、むしろ少ないのではないかというのが、家内の意見です。
むしろ「この人しかない」的な熱烈な思い込みで結婚した人のほうが、その後は危うい傾向もあるような気がします(様々な女性を占ってきた私個人の感想ですが)。
ちぃさんの場合、そういう思い込みによる錯覚、相手に対する幻想による迷いというのでは決してないと思います。
思い込みと、なにかぴたっとするものを感じるのとでは、まったく意味合いが違います。
思い込みは幻想で、相手に対する過剰な期待や妄想が原因になっていることがあります。
ぴたっとくる感覚は、一種の直感的なもので、シンクロニシティ的なものです。そこには理屈や思い込みを越えた洞察が働いているように思います。
ちぃさんの場合、これだろうと思います。
結婚後、恋愛感情を大きく育てていくプロセスなども、うちとちぃさんとでは似た部分があるように、ブログを拝見していて思います。
うちの場合、恋愛期間はまったくなく(本当にゼロです)、結婚しました。
見合いではありません。
結婚前、二人は仲間であり、姉弟のような関係でした(兄妹という表現のほうが正しいのかも知れませんが、一応、同い年生まれでも家内のほうが9ヶ月年上なので)。
よく知った関係で、結婚前には様々なことがあり、お互いの良いところも悪いところも出し切った状態で、かなり知り尽くしてしまいました。
その上で結婚したので、かなりの基礎工事を行った上で、家を建てたという感じですかね。
土台が普通よりも強固にできていると思います。
ですから、うちの例はかなり特異な結婚だと思われます。
しかし、一般的にも応用ができる部分があります。
それは、自分たちの本音や見苦しい部分、えげつない部分や、人間的に小さな部分などを、全部蓋をして、見せないように生活することは、たぶん無理がある。
時には本音をぶつけ合うことや、エゴをさらけ出すことも必要なのではないかということです。
結婚を迷っている前述の彼女にしても、やはりどこか引いてしまっている部分はあるのではないかという気がします。
親しき仲にも礼儀ありで、私は日常の中で自分のエゴばかり出してはいませんし、家内もまたそうでしょう。
毎日がエゴだと、これもまたとんでもない話で、すぐにダメになるでしょう。
しかし、そういった部分もやがては相手は知っていくと思うのです。長い年月の中では。
うちの場合、結婚前にそれをかなりの部分やってしまったので、結婚後にそういうのを見せられても、互いの信頼関係というのが揺るぎにくいように思います。
時には本音をぶつけ合う。
これも円満の秘訣ですか