有害情報サイト問題 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨日の新聞に、野放し状態になっている有害情報サイトの規制を、90%以上の人が望んでいるというアンケート調査結果が報じられていた。
自殺や犯罪、わいせつ画像などのサイトなどだ。
実際、そうしたサイトを通じた犯罪や事件は非常に多い。
犯罪の温床になっているというのも事実だろう。
学校の裏サイトでは日常的に「いじめ」が行われ、そのために自殺する子供まで出る始末。

「表現の自由」という憲法を文字通り体現したかのような世界がインターネットだ。
この最大の理由が、、「匿名性」にある。
ほとんどのサイトでは匿名性が保持されている。
どんなサイトを作ろうが、どんな記事を掲載しようが、やりたい放題、言いたい放題、書きたい放題である。
自分であるということがばれないのだから、どんなに恥知らずなことをしても、悪質なことをやっても、平然としていられる。

場合によっては、自分の日常の鬱憤晴らしに他人を誹謗中傷したり、からかったり、格好のストレス解消法になっているようなこともあるだろう(そんなことをしても、本当は空しいだけだと思うが)。
問題になっている学校の裏サイトにしても、子供たちのやっていることを大人たちはむやみに非難など絶対にできない。
なぜなら自分たちが最初にそれを始めたのだから。
ある人物や事物を取り上げ、つるし上げ、よってたかって揶揄し、馬鹿にし、中傷するようなネットの使い方を、とっくの昔に大人たちがやっている。

そういう社会を作ったのは自分たちなのだ。

私は以前、占いのサイトを別にやっていたことがあり、そこで記事を書くときに守っていたルールは、このZEPHYRブログと同じである。
「特定の個人を誹謗中傷しない」
「プライバシーを守る」
「基本的に悪口は書かないが、まっとうな批評、評価はOK」
「読んだ人がどちらかというと気持ちよくなれる記事を多く書く」
などといったところだろうか。
細かいことをいえば、もっとあるかもしれない。

これは今でも守っている。
自由な世界だから匿名で何をやっても良いのかというと、そんなはずはない。
自由が保障されていても、公序良俗というものがある。
インターネットのダークサイド。
今、それは覆面をした人間が素っ裸で町中に出て行き、あちこちで恥知らずな行為をしているようなもの。自分だとわからないというだけの理由で。

このブログはできれば、ライトサイドの機能を果たしたい。
喉が渇いた人が、水を飲みに来る。
そんな井戸のようなサイトでありたい。