明日から復帰 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

薫葉君から強力な援護射撃を頂戴しましたが……。
ありがとうございます。
やはり身近な人間しかわからないことというのがありますし、ブログなどに書いていることは、一面にすぎないので、誤解を招くことは多々あろうかと思います。
しかし、作家というのは世に出された作品については、もう自分ではコントロールできないものなのです。
読者が作品を読む、そしてその作家の辿ってきた軌跡を見る、そしてそれらについて個人的主観的な意見を述べるのは決して止められないし、口を塞ぐべきでもないと思います。
読んでもらうために作品を世に送り出しているのですから。
個人的主観的と申しましたが、私は個人が口にする意見には正確な意味での「客観」はないと思っています。
それはやはりその人の意見なのです。
「客観的に言って」という表現で、自分の言葉の正当性を強調する表現がありますが、これはやはり間違いです。正確にはいくつか普遍的にある見方のうちの一つを、それを言う人が利用している、自分の意見に合うものを選んでいるというのが本当のところです。
これは人間心理を注意深く見つめればわかることです。
(注・ただ「常識的」というのがあります。これは世間的な認識の多数派を指していますから、器械で測定することはできないですが、だいたいの雰囲気で察することができます)

私のこれまでの言動やちっぽけな業績を見て、「つまらない」とか「情けない」とかいう人がいれば、それは私は受け止めます。
その中にも重要なメッセージがあると思いますから。
しかし、それはやはりその方の意見なのです。

93年当時、私は「業火」の出版の前にも、いろいろと出版社との間に紆余曲折や齟齬があり、たぶん自信を失いかけていたと思います。
すったもんだの果てに、「業火」は徳間書店から出版されました。
この辺の事情については、私は一切語ったことがないはずです。
この大きなトラブルについては(某出版社にとっては小さなトラブルだったでしょうが)、私個人には責任はありませんでしたが、そのことを「言い訳」したことは一度もありません。
むしろ根本的には書いた自分自身の責任だと考え、思いつめていました。

「小説NON」にエッセイを書いたときの私は、そうした痛恨の思いの中だったはずです。
今、思い出しても苦しい時期でした。
そういうとき私は、あえて自分を「客観視」して、茶化して精神的なバランスをとろうとする癖があるようです。
もちろん前述のように、真の意味での「客観」ではありません。
それは正しくもあり間違いでもある。
ただそのときの私は、自分の若さとそれ故の弱さを痛感させられていたのです。
「デビューが若すぎた」云々は、若かった私の迂闊な発言かもしれませんが、読者はそのときの私が苦しみ悶えていた事実を知りません。ゆえに「なに言い訳してるんだ」と思われても仕方がありません。
だから、そう見えたのだろうなと思います。
ただ事情を知っている人間には、違ったふうに見えたでしょう。
といって、読者の方々がそのようなことを知る必要はなく、またこちらとしても周知するようなことはしてないのですから、どのように言われても仕方がないのです。
この辺のことは、プロであったら覚悟しないといけません。

マーズさんのご意見は、私はありがたいと思っています。
いいことばかりでは人間、成長しませんし、逆に今の私にとってはあらためて気合を入れなおす力となりました。

今回の転職の不調についても、実際のところ、私はかなりのダメージを受けていました(いや、今も?)。
これでもう少し執筆に費やせる時間が増えると喜んでいたのが、だめになってしまったのですから。
経済的な問題もあります。
それに周囲から受けた精神的なものもあります。
私はプラス思考ですから、簡単にめげませんが、しかし、激しく体のどこかをぶつけたら、誰でも「痛い」といってしばらく動かなくなるように、私も停止状態になりかけていました。
マーズさんのおかげで、しゃんとしました。

皮肉なことに、今回の出来事にも、「客観的には」私には責任がないように思えます(93年当時のように)。
そうでない部分も多少はあると思いますが、世間常識的には私には責任がないと多くの人が判定して下さるでしょう(詳しい事情を話せば)。

本来、こうしたことは書くべきではなかったのです。
ただ、私は前にSKホテルを辞めるときのことを書いてしまいました(感謝の意味もあり)。
そうすると、これを読んでくれている方々の中には知った方もいらっしゃるので、一応、戻るいきさつについても書いておかなければ、なんだかコソコソ戻るみたいで嫌だったのですね。

ただ、今後、私は戻ったホテルでの出来事は、ほとんど書かないはずです。
以前(今年の6月以前)も書いていないはずです。
たんにサーヴィス業とかホテル勤めをしているとかいった程度のことで、中身についてはほとんど書いていないはずです。
これはその中にいるとき、お客さんのプライバシーや企業体の情報を守るための当然の措置ですから。
占いなどでも、一般論的にこういうことがあったという話は書きますが、かなりプライベートな部分にかかわると判断したときには、かならず私は記事にして良いか、ご本人の許可を得るようにしています。
ホテルでのことも一般論的な記述以外はしないつもりです。懇意にされている方で、「いいよ」と言ってくれれば別ですが。

ともあれ、明日からホテルに復帰します。
今日はとりあえず大学へ。

以下、帰宅後、加筆。
「トシヒロ、○○へ、しいたけ、届けてくれない?」という母の申し出に、書きかけの状態でUPしてしまいました。下書き保存にしておけば良かったと後悔。
しかし、続きを書いておきます。

私の申したいのは、作家の活動、作品にせよ、その業績にせよ、エッセイにせよ、このようなブログにせよ、自分のしでかしたことなのだから、何を言われても仕方がないということなのです。
公にしている部分で、何を言われてもそれは受け手次第ということなのです。
ただ受け手もすべてが見えているわけではない。
しかし、こっちも見せてもいないのだから、言われるのは仕方がない。
言われたくないのなら、公にしなければいい。
した以上は責任がある。

そういうことです。
ですから、私は私自身に返ってくる言葉のすべてに責任があり、受け止める義務もあります(ただ、これが某チャンネルのような誹謗中傷を目的とした、大人のいじめエリアのような様相だったら、受け止める必要などありませんが)。

マーズさんのご意見などは、そうではないと感じました。
ゆえにできるだけ早くUPしましたし、その後は承認後の反映という設定も解除し、すぐにコメントが載るようにしておきました。
わりと早くご返事を頂けたので、ありがたかったです。

薫葉君、過分な擁護をして頂きましたが、私は以上のような考えですから、ご安心下さい。
ただ気持ちは嬉しかったです。

コメント欄に、薫由記からも辛口のコメントがありますが、彼女の言うことも的を射ています。一般的には彼女のが正論です。
ZEPHYRを去った喜多もそうでしたが、私はイエスマンを身近には置いていません。
薫葉君も創作上は、対立すること、反発することも多い存在です。
紫月君はまだまだ未知数ですが。

しかし、そうした対立した要素の方が、力を結集したときには成果は大きいのです。
そして、今回、しきり「レガリア」に関することを、なぜか聞きました。

じつはこつこつと改稿を進めているのですが、これももう一度、チャレンジする時期に来ているのかなと感じました。