種(SEED)の育つ日 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
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クチコミネタ:アニメ、ドラマの忘れられない名ゼリフ

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3つ前の記事、「猫たちの会話」を見てもらってもわかるように、私はファースト・ガンダムの洗礼を受けたクチです。
「認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちというものを」
というような、非常にわかりにくいセリフで登場してきたシャア。
よくよく考えると、単に部下の暴走から起こった事態であって、それってあんた自身の過ちなの? という気もする(上官の責任というものがあるだろうが、若さ故なの?)。
しかし、その昔の熱血型単純性格のヒーローのわかりやすいセリフになれていた私たちには、「ええ、こいつなに言ってんの。わけわかんねー」と思いながらも、そのわかりにくさに妙なかっこよさを感じたものだった。
ガンダムって、たぶんあの一言でそれまでのアニメとは違うんだよっていうことを表現してしまったのではないだろうか。

しかし、最近、「ガンダムSEED」「SEED・DESTINY」に年甲斐もなく子供たちと共にハマり、全シリーズをDVD鑑賞してしまった。

「殺されたから殺して、殺したから殺されて、それで本当に最後は平和になるのかよ!」

カガリのこのセリフは、かなり強烈なインパクトがありました。
物語のテーマがここに凝縮されているといった印象です。
ファースト・ガンダムも本当はこういう事なのでしょうが、その解決策を「ニュータイプ」という人類の革新に求めてしまった。
対して、「SEED」のシリーズでは、あくまでも現代の生きる人間の延長の中での解決の模索という形を取っています。
この差は大きいですね。

いいアニメは子供たちにもいい影響を残してくれます。
こういうセリフを聞いて、見て育った子供の心には、どこかにこういう言葉が残されていくのではないでしょうか。
親として、わが子二人がカガリの言葉をどこか胸に残し、この争いの絶えない世界の状況を見据える真実の眼を養ってくれれば良いなと願います。