クチコミネタ:動物愛護
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我が家は山の中にあります。
1.5キロメートルほどの狭い道路に沿ったエリアに10軒ほどの家しかありません。
だいたいがお年寄りが多いです。
我が家は猫を飼っています。
自宅を中心とする、たぶん1キロメートル半径ほどの間に、15、6匹はいると思いますが、実は数は定かではありません。
若いのからお年寄りまで幅広く、毛並みもさまざまです。
どういうことかというと、放し飼い状態なのです。
猫は山野を自由に駆け回っています。
そしてお腹が空くと帰ってきて、ご飯をねだります。誠に勝手な奴らです。
どこかから迷い込んできた猫もいるので、数も不確定で、もともとうちで飼っていた猫とその直系の子孫は、今や半分以下かもしれません。
こういう飼い方が許されるのは、自宅は前述のような特殊な状況にあるからで、周囲には田んぼや畑、そして野山ばかりだからです。
文句を言う人もいません。
むしろ、わりとどの家でも寄りついてくる猫に餌をやったりします(そういえばどこかのTV局が作った「にゃんこ」のDVDには、島中で不特定多数の猫を飼っているところがあるのを見たことがあります。あれに近いかも)。
したがって、飼っているという言い方は、もはやできないかもしれません。
飼っているのではなく、彼らは生息しているのです。
町でこのようなことは決して許されないでしょう。
私も住環境が違えば、このような猫との接し方はしないでしょう。
しかし?
猫たちにとっては、どちらがいいのでしょうか。
猫はもともと自立心旺盛で、自分勝手です。
彼らを家の中に閉じこめ、去勢し(しなければ難しい問題もたしかに多いのですが)、人間がただ猫が好きでかわいがりたいという欲求を満たしたいために手元に置いておくことは、生物として見たときには、猫には迷惑な部分もあるのではないでしょうか。
猫と主人の間に、とても濃密な精神的交流がある場合もあるでしょうし、かならずしも人間の身勝手とは言えないかもしれません。
petとは「愛玩の動物」のことです。
つまり人間がかわいがることが前提となっている呼び名です。
だから、飼うことが前提ですね。
そういう意味では、うちのまわりにいる猫たちは、ペットではないのかもしれません。
彼らは、へたをすると呼んでも寄りつきもしないし、撫でられもしない。
でも、かわいいもんです。
庭先でバッタや蝶々を狙って遊んでいます。
これはうちの直系の猫でイッチャンです。
隙を見てつかまえると、爪も出しませんが、抱かれているとかなり迷惑そうです。
そんな彼らにも、うちのような環境がパラダイスとは限りません。
野犬もいます。
猪もいます。
狐も出ます。
特に子猫のうちは危険なことが多いのです。
猫同士で激しい喧嘩もします。
でも、彼らは生き生きとしています。
私は以前、市街地に住んでいた時期があります。
そのときは賃貸マンションだったので、猫など飼えませんでした。
でも、もし一軒家だったら、飼っていたかもしれません。外にほとんど出さず。
私は猫大好きです。そしてやはり身勝手な人間という種の一個体です。