エッダの一節 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

京都でなんとも悲惨な事件が起きた。
16才の娘が、実の父親(それも警察官)を斧で殺害するという事件だ。
親が子を、子が親を――そんなニュースにさえ、すでに世間は鈍感になってきている傾向すら見える。
最初は大々的に騒ぎ立てるが、だんだん「またか」という反応になってくる。
あまり騒ぎ立てすぎるのも問題だろうが、この麻痺感覚には別の怖さを感じる。

今回の事件で特異なのは、娘(女性)が父親(男)を殺しているということだ。
これまでの尊属殺人の例でも、男の子が犯行に及ぶケースは見られたが、非力な女の子が成人男性の父親を殺すというのは、本当に珍しい。
だからこそマスコミも大きく取り上げているのだろう。

しかし、やりきれない事件だ。
家族という人間社会の最小単位で、関係性の崩壊がどんどん進行している事を意味するからだ。

高校生の頃に書いた、一種の未来予言的小説の冒頭に、北欧神話の歌謡集(エッダ)から引用したものがある。

 兄弟同士が戦い合い、殺し合い、
 親戚同士が不義を犯す。
 人の世は血の涙もなきものとなり、
 姦淫は大手をふってまかり通り、
 鉾の時代、剣の時代が続き、
 盾は裂かれ、
 風の時代、狼の時代が続きて、
 やがてこの世は没落するならん。

――巫女の予言より


これはまさに現代のことであろう。こと、日本や先進諸国には明瞭に出現している。
肉親同士が殺し合い、不義や姦淫がまかり通る時代。
鉾の時代、剣の時代は、それぞれ文明社会が選択してきた戦うための武器の象徴的な推移を物語っているのだろう。
盾は裂かれ=これはすでに守る術(核などの究極兵器に対する防御手段)が失われたことを意味する。
風の時代は情報の時代とも読み取れるし、またものみな風化させていく社会傾向(良きものを残さない。ぼろぼろにさせていく)とも、単純に厳しい冷戦のような状態(北欧では風は心地よいものよりも厳しい、冷たいものであったろう)とも読める。
そして狼の時代。
これは「苦悩と戦いの時代」だという。まさに現代そのものだ。
その先には――?

私は高校生の時(1978~9年)、この詩を形にする予言小説を著した。
そして今、あの小説に描かれたことが徐々に現実化するのを目の当たりにしている。
当時は筆力不足だったので、描ききれなかった部分も多く、テーマをしっかりと反映した物語にはなりきれなかったが、それでも意図するところは明確だった。

人の世の没落と共に、北欧神話ではラグナロクという神々の最終戦争が行われ、完全に世界は滅びる。
炎に焼き尽くされた世界はやがて再生し、数名の生き延びた神々と死の国から蘇った神が集い、そして人類もリフとリフトラシルという二人だけが生き延び、新しい種族の祖となる。

こんな壮大かつもの悲しい物語が、北欧神話の世界だ。

生まれ、生きて、そして滅び行く。そしてまた再生し……。
人の命も世界も、同じようなプロセスを繰り返しているのだろうか。

高校生の時に書いた、あの物語。
最近、あの真の処女作が私を呼んでいるような気がしてならない。