地震 私たちにできること |  ZEPHYR

 ZEPHYR

ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

中越沖地震の悲惨な状況が伝わってきている。
昨日16日は、とんでもない日であったようで、東日本の広い範囲で地震が発生したと新聞が報じている。
北海道でもあったし、またこちらに近いところでは京都沖でM6.6! 奈良でもM4.7の地震があったようだ。
まるで日本列島の底で何かが目覚めたかのような揺れ方だ。

いったい何が起きているのだろう?
たしかに昨日の記事にあるように、ホロスコープは非常に大きな危険を示してはいたが。
私は天災の起きる度合いは、その国家の政治や社会体制、そして何より人心の乱れに呼応していると思っている。
オーケストラの演奏を考えてもらったらわかりやすい。
私たちの世界は様々な光や波動によって満たされている(現代物理学はそれを証明している)。
粒子と波によって構成された世界。それが私たちの世界だ。
それは全体として調和のとれたシンフォニーを奏でている。
それは巨大な調和の中にあり、ホメオスタスシス(自然界の復元力)が許容する範囲であれば、少々の乱れがあっても緩和吸収されてしまう。
しかし、シンフォニーを奏でる大きな一群が全体として破綻してきたら、修正は難しくなる。

そうして生じた乱れが、そのまま災害や目を覆うような悲惨な事故や事件として起きるのではないか?
人間という存在が世界を観測することによって世界は成り立っているというのが最先端の物理学だ。
人間と世界は切り離されては存在しない。
どこでもない、どこでもある創造の海。ゼロ・ポイント・フィールド。
その発信源である人間が総体として大きく崩れてきたらどうなるか?

結果としてその歪みが、とくに罪もない人々の身の上に降りかかってしまうことにもなる。
他人事はないのである。

起きている天災は警告として捉えるべきだと思う。
私たち一人一人の心が、存在のありようが、世界を作るのだから。
だから、本当は今回の災害にも私たちは責任があるのだ。

今はせめて祈ろう。この日本の浄化と、人々の笑顔のために。