誕生日の不思議とプチ予言3 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

話題の「誕生日大全」を買った。
閏年を含む、1年366日のそれぞれの日別の性格や運勢を解説したものだ。占星術、数秘術などがベースになっているらしいが、編纂に当たってはかなりの日別のデータが収集され、分析されたらしい。
数年前に発売された同種の本も買っていたのだが、どうやらこの「誕生日大全」のほうが内容がしっかりしているようだ。的中率も高く、表現も適切だ。おまけに恋人や友人、ソウルメイト、ライバルがどの誕生日なのかというおまけも付いている(これはあまり真に受けすぎないほうが良いと思うが)。

この本を手に入れてから、面白半分、研究心半分で、いろんな人間に読ませてきた。
そして自分で当たっていると思うかどうか尋ねた。
すごく当たっていると答えた人もいた。
が、「半分くらい当たっている」というのが一番多いようだ。ただこれはかなりすごいことなのだ。この誕生日大全は日別の占いをしているのだけで、何年何月何日の占いをしているわけではない。誕生日だけなのだ。
それでもこのような傾向が出るというのは、やはり統計の力だろう。
同じの誕生日の人には、やはりある種の似た傾向が生じるようだ。

ただ、まったく当たっていない人間、部分的にしか当たっていない人間も少なくない。
自分がよく知っていて、性格も把握している知人などの誕生日についてチェックしてみても、すごく当たっている人間と、そうでない人間がいることに気づかされる。
なぜ、このような差異が生じるのか。
そこを疑問に思った私は、当たっている人とあまり当たっていない人について、ホロスコープを調べてみた。
浮かび上がってきたのは、興味深い傾向だった。

当たっている人は出生時の太陽が伸びやかで、健全なのだ。
当たっていない人の太陽は、何らかの形で傷を負っている。
これは占星術的にも納得の結論だった。
誕生日というのは、つまるところ太陽の位置である。
何座の何度。毎年同じ日に同じ場所に戻ってくる太陽(多少の誤差はあるが)。

太陽は占星術上、最大の自己表現のポイントだから、その配置星座を重視する。12星座占いなどは、それを根拠に成り立っている。
その自己表現である太陽が傷つけば、本来その人が(その日が)持っている良き美質も発揮されないということが起こってくる。
あまり当たっていない人でも、ネガティヴな記述の中(たとえば家族と縁が薄いとか、性格の悪い部分)には非常にぴたりと感じる部分があり、これは傷ついた部分が強調されているから、当然そのような面が性格や現象に現れていると考えることができる。

太陽がどのような傷つき方をしたとき、誕生日が持つ美質が覆い隠されてしまうのか、それもだいたいわかってきた。
まだまだデータを集め、研究を進めていく必要はあるが、「誕生日大全」のおかげでまた一歩、理解が進んだ。
何事も勉強。
何事も精進である。
うん。

ところで、今月の10日~18日の間。
地震関係で気になる星の配置です。
お出かけの方はご注意を。