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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
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 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

昨年のことになるが、仕事帰りのコンビニエンスストアの書棚に一冊の本を見つけた。
「生きがいの創造」飯田史彦 PHP文庫。
この背表紙だけ見ると、今はやりの自己啓発本かという感じで、たぶん食指は動かなかっただろう。プラス思考などで一時的に浮上しても、本当に困っている人、夢も希望もなくただ毎日を過ごす人にとっては、ちょっとスタミナドリンクを飲むぐらいの効果しかない。自己暗示やプラス思考は人生において有効だが、占いなどをやっていると、その程度では解決できない問題を抱えている人たちが実に多いことに気づかされ、また自分が無力だなあと感じることもしきりである。
占いだけではない。大学の最後の講義で、文学だけではなく若者たちの意識をどこへ持っていこうかと悩んでいた時期でもあった。
そこへ、ふと目に飛び込んできたのが「生きがいの創造」だ。
タイトルだけなら買わなかったし、手にも取らなかっただろう。
それがなぜ手に取ってみる気になったのか、正直わからない。私にはとくに本に関して、よくこういうことがある。すると、求めていた答えがそこにあったりするのだ。

今回もそうしたシンクロニシティが起こった。
この本。単なる啓発本などではなかったのだ。
なんとこの作者、飯田さん、経営学博士であり、れっきとした大学の教授なのだが、本の中身は「臨死体験」と「退行催眠」などを主軸とした、「あの世」の話なのだ。
臨死体験、死にかけるという体験をした人が、よく三途の川を見たとか、花園を見たとか、そういうことを口にすることがある。私の身近にもそういう実例がある。
それだけではなく、臨死体験の中には本当に「あの世」に入り込んで戻って来るという体験をした人がたくさんいて、アメリカなどを中心に大変な数のデータが集められているようだ。また退行催眠は心理療法で使用される催眠術によって、人のトラウマなどをいやそうとする手法だが、これによって前世にまで遡った(あるいは前々、前々々世…)症例も数多くあり、それらのデータの照合から、人間の輪廻転生と、また生まれ変わる間の中間生(つまりあの世とか天国とか呼ばれるところ)のことさえわかってきているという報告を、大胆にもこの大学の先生はなさっているのだ。
人間は死によって消滅せず、あの世がある、そしてこの世に生まれてくる際には、「前世がこうだったから今回はこのような学びがしたい」とか「こんな体験をしてみたいとか」とか、そのような判断と決意によって生まれてきているのだということが、数多くの実例によって報告されているのだが、飯田さんはこのような事実を人に知らしめることが、実は本当の意味で夢や希望、意欲を失っている人の人生に本質的な光をもたらす効果があると述べている(実際の例を挙げて)。

生まれ変わるのなら、いい加減に生きても、あるいは面倒くさくなった段階で自殺してもいいのではないかというネガティヴな反応が出てくる危険もあるのだが、飯田さんの経験ではむしろせっかくこの世に目的があって生まれてきているのだから、精一杯この生を生き抜こうと考える人の方が絶対的に多いらしい。
私も実は、かなり前からこの考えの人である。
生まれてきた以上、どんな辛いことがあても生き抜かないと損だ、と思う人だ。苦難であろうが逆境であろうが、それは生きている間にしか味わえないのだ。
まして喜びだって。

また生を途中で放り出すと(自殺すると)、その課題を残したままこの世を去ることになるので、次に生まれたときも同じ課題に取り組むことが多いらしい(それは面倒くさい話だ。私は面倒くさい課題を先に済ませるたちなので)。
ただそれはカルマとか、因縁とかいうものではなく、中間生の報告によると、自発的な意志によるものらしい。
魂は自分に課した課題をクリアできなかったことを悔やみ、それを今度こそクリアしようとするものらしい。
人間関係でも恩を受けた人には、次の人生で恩を返そうとしたり、親子関係で失敗していたら、今度はそれを修復しようとする関係で生まれたりするらしい。
そうして数多くの人生を体験していくことが、トータルな意味で魂の成長をもたらすのだ。

悪行をはたらいたから地獄に堕ちるということもないようだ。
ただ人間は一生を終えると、一生分の体験を死後、再体験できるらしい。ただ自分の立場ではなく、自分が何をいった、何かをした、相手の立場で。
いじめた相手がいれば、そのいじめた相手の気持ちで、殺したら殺した相手の立場で、自分が愛を注げば、その愛を受けた人の気持ちで。
これは臨死体験者、退行催眠の例の両方から報告されていて、その体験を思い出した人は自分がいかに愚かで、自己中心的で、エゴイスティックであったか思い知らされ、悔やまない魂はいないのだという(それはそうだろう。私も死後のことを思うと、冷や汗が出る)。

これは誰もが通過する体験だという。
魂は本質的に愛であり、光であるから、自分が行った人を傷つける行為に後悔をしない魂はないのだ。
ゆえに人生において、様々な局面で人は本質的には愛ある選択、愛ある行為を求められていることにもなる。ただ愛の中には厳しさの選択もある。なにも優しくすることだけが愛ではない。

私は前々から、人は自分の人生において起きることに100%の責任があると述べている。このページでも何度も書いた。
虐待を受ける、一家が離散する、離婚する、事故死する、破産する。
これらの不幸は自分に責任がなく、親が悪いんだとか、会社の上司や経営者が悪いんだとか、浮気した妻が悪いんだとか、そう単純に考えやすい出来事があるが、本当はそうではなく、自分が選択しているのだと述べてきた。
納得できない人も多かったと思うが、「生きがいの創造」の中での報告によれば、人は生まれてくるとき、自分が今回の人生で体験したいと思う最良の環境を与えてくれる親の元に、親の魂に頼んで生まれてきているらしい!(なんと!)
だからといって、自分を虐待する親の元にいつまでもいて、虐待を受け続けることが正しいことであるはずはない。しかし、魂は一度はそういう環境を選択し、それを魂の体験として得る必要があったということなのだ。
その後、愛ある選択として、自分を大事にし、虐待親の元から離れるのは、それこそ貴い決断と体験にもなるだろう。
自分を大事にすることを学ぼうとする魂が、現代には非常に多いように思える。

また自分の人生は、生まれる前にすでにある程度の青写真を作るということも行われるようで、その中にはいつ頃、運命の人と出会って結婚するとか、このような仕事を選択するとか、また自分で試練を用意しておくことも含まれている。

こうした事実を知ることは、人の人生を変えるだろう。たしかに。
なぜならこれを知れば、苦難にあったとき、感謝さえできるからだ。その体験がまた自分という魂を大きく成長させてくれるから。

私は同い年生まれの飯田さんにエールと尊敬を送りたい。学者生命をかけて、学界がおよそ受け入れそうもない情報を多くの人々に提供する論文をお書きになった先生に。

尚、飯田さんの報告、そして「ツインソウル」「ソウルメイト」など、その後の著作の中で述べておられることは、私が数年前に出会った「神との対話」ニール・ドナルド・ウォルシュ著の内容とも完全に一致しており、人の生命と生き方について、大きな指針となるべきものと確信します。