1988 |  ZEPHYR

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ゼファー 
― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
 占星術研究家として
 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

1988(昭和63)年2月――。

私は仕事で上京し、師匠の家に転がり込んでいた。たしかGPライダーなどとの座談会か何かの仕事だったと思う。

夜、師匠の家の電話が鳴り、親友のNからだと告げられた。

Nから? それだけでもびっくりした。Nは師匠の家の電話番号など知らないし、かけるためにはわざわざ私の家に電話を入れ、確認しなければならなかったはず。そうまでして、電話してくる理由……。

「まーが死んだ」

「まー」とはNの弟だった。イラストレーターを夢見、頑張っていた。私と同じようにバイクが好きで、交通事故で亡くなった。

ショックで二の句が継げなかった。

どうしてもはずせないスケジュールがあって、結局、私が戻ったのは葬式も済んだ後だった。


その「まー」のことを、このお盆の前後、ふいに思い出すことが多かった。

なぜかわからない。

先日、また思い出している自分に気づき、衝動的に墓参りに行こうと思い立った。

当時、たった一度きり、お墓に入っただけだったので、場所がかなり怪しかったので、Nに尋ね、電話で教えてもらい、ようやく辿り着いた。

花や水ぐらい持っていけよって言われそうなのだが、発作的に出かけたので自宅にあった線香くらいしか上げられなかった。


それまで普通に話せていた人間が、ある日突然に消え失せてしまう。

私はそれまでにも祖父、曾祖父などを見送った経験があったので、人の死というものに実感がなかったわけではないが、私よりも若い青年の死は、少なからずショックだった。


1988年。

この年、私は非常に多くのものを失った。同年の夏には地獄のような苦しみを味わった。

「まー」の死は、その始まりを告げてくれていたのだろうか。

そして長いトンネルを抜け出ようとする今、「まー」は天国からまた呼びかけてくれたのかもしれない。

ふと、そんなことに思いを馳せた残暑の午後だった。