横溝正史の作品を再読している。
自分がミステリにはまった最大の要因が、正史であることはこのブログでも書いたし、あちこちで喋ってきた。以前、角川映画で正史作品が何本も作られたのとほぼ同時期に、自分はむさぼるように正史を読んでいた。中学時代のことである。
そんなわけで、すでに記憶もかなり怪しいのだが、正史の作品は幾度も映画やテレビドラマになっているので、有名どころの作品は避け、「迷路荘の惨劇」を手に取ってみた。
密室トリックは、もう、なんということもない。現代的水準で考えれば、トリックと言うほどのものでもないと思う。
しかし、物語の後半、怒涛の勢いで読者を導くストーリー展開、そして金田一耕介による謎解き。
やはり、これには今に至るミステリー作家の多くが見過ごしてきたものがあることを、再認識した。
金田一が人の心を読み、それを推理に役立てていることも、はっきりと認識できた。
そして、正史の作品構築のうまさも痛感した。
同時にわかったのが、自分の過去の創作(それもデヴュー前後)が、いかに正史の影響をもろに受けていたか、はっきりとわかってしまった。それがよくも悪くも、一つの制約になっていたようだ。
無意識の領域の話である。
子供時代に体験したこと、はっきりと記憶していなくても、それらが基礎部分に堆積して形成された人格というのは、本人がはっきりと自覚しない限り変えられないものだが、似たような原体験が自分の正史体験にあるようだ。
ここをさらに認識するため、さらに再読を進めてみるつもり。
ある作家に大きな影響を受けたと自覚がある人は、もう一度、今それを読み直してみることをお勧めする。
逆に呪縛を断てるきっかけになるかもしれない。
もちろんある程度成長していないと、意味がないだろうが。
今、正史を再読する理由。
もちろん、上記の理由もあるのだが、真意は別にある。
それはここでは公表しない。が、わかる人にはわかっているだろう。
次回ブログは「奇跡の個体」について、述べる。今回の話とはまったく無関係。