プロとアマの境界線1 |  ZEPHYR

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― the field for the study of astrology and original novels ―
 作家として
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 家族を持つ一人の男として
 心の泉から溢れ出るものを書き綴っています。

プロとアマの差とは何であろうか?

じつはこれは大学での最初の講義の時、学生さんたちから採ったアンケートの中の、「プロの作家に尋ねたいこと」の一つとして、ある学生が書いていたものだ。


実をいえば、作家はプロとアマの区別は限りなく薄い。その膜は、本当に薄っぺらなもので、簡単に破れて二つの領域はつながってしまうほどのものだ。

私は以前から、書くべき人間はいずれ書くようになるといっている。その前提として読書がある。物語を読めば読むほど、本人の中には多くものが蓄積されていき、ダムがいずれいっぱいになったときに自然の放流が始まるようになる。

それがつまり「書く」という行為なのだ。

好きなことは強制されなくてもやってしまう。やらずにおれない。それが人間だ。


ただこの放流活動が始まった段階では、作家としてプロになったわけではない。

この段階ではまだ自己満足的なものしか書けていないのが普通だ。

読むに耐えない未熟なもの、あるいは今まで読んできたものの物真似にしかすぎないもの、まあ、いろいろだと思う。


どの段階で人はアマチュアからプロに変わるのだろうか。

それが無段階変速みたいに、はっきりとした境目がなく、曖昧に変わっていくものなのか、それともある時ステップをのぼるように、プロという上のステージに立つのか。

これは両方がある。

プロとアマの領域を何度も微妙に揺れ動きながら、やがてプロとしての自分を確立させていく人間もいれば、ある時はっきりとした認識を持ち、プロへの移行を果たす人間もいる。


それは個人の時間的な問題で、はっきりと法則付けすることなどできない。


そして、そもそもプロとアマの違いは何なのか?


その違いをはっきりさせなければ、見極めもできないことになる。


プロとは、その道の専門家である。これが一般的な辞書的解答であろう。

一方でこういう見方も世間にある。

プロとはそれでお金儲けができる人間である。

アマチュアはそれで報酬が得られない人間。

この定義付けはある意味正しい。


物質的な側面だけにスポットを当てれば、これも間違ってはいない。


ところで、プロというのは、プロフェッショナルの略語だ。

教授などを意味するプロフェッサーなどの言葉も派生語だ。


では、ここで考えてほしい。

アインシュタインは一般相対性理論、特殊相対性理論、量子論など、理論物理学の天才で、誰もが認めるプロだ。

しかし、彼の研究がろくでもないものとして大学が認めず、仮にクビになったとしよう。

こういう事例も世の中にはある。

彼は自分の理論を証明するため、自費でこつこつと研究を続けたとする。

彼の輝かしい相対性理論も今ほど世に知られることもなく、きわめてマイナーな説として知られる程度にとどまったとする。


この彼はアマチュアか?

NOである。彼の打ち立てた相対性理論は、世界の成り立ちを解明するための根本理論と真実である。


彼の研究が報酬を得られなかったとしても、マイナーであったとしても、彼が理論物理学のプロであったことは紛れもない事実である。


ここでプロとアマの境界に、じつはゼニカネの問題は存在しないことが明らかになる。

報酬を得られるかどうかということを基準にすると、じつは曖昧な領域にもの凄く多くの作家が現実に存在していることに気づく。

ベストセラー作家から、それだけでは食えないという作家、あるいはごくたまーにエッセイとか評論だけを何かの雑誌や本に載せてもらえる物書き。

どこで区切ればいいの?


ここで視点を反転させてほしい。

金が稼げているのなら、そいつはプロか?

この問題も物質的な側面にスポットを当てれば、それもまた正しい。

プロだ。

しかし、ものを書いて食っている中にも、じつにくだらない雑文を、流行に乗って書いているような人もいないではない。

これは本当にプロなのか? と問いたくなるようなひどい文章も、時にはある。


芸能人が自伝やエッセイを、人気に任せて、ろくでもないハチャメチャ文で書く。でも売れる。

これは物書きのプロ?

?????


違うだろう。


それは違うだろう。

誰でも思う。


こうして見ていくと、はっきりすることがある。

金銭的な問題は、実はプロとアマの区別につながらないことが。


ではなにが、プロとアマを分けるのか。


単純にいうと、これは「質」である。

しち、ではありませんよ。しつ、です。


そのジャンルでの本質をつかんでいるかどうか、これがそのジャンルでのプロとアマの区別の一つの基準になると思われます。


小説の場合、その書かれたものを読めば、作家の中身もある程度わかります。

これは怖いことですが、真実です。


この続きは、大学での第三回講義の後で。