小説を書いていると、よくシンクロニシティが起きることがある。
例えばその時、どうしても調べたい情報があるとする。
たまたま訪ねていった訪問先の机の上に、なぜかその情報を掲載した雑誌が無造作に置かれていたり、誰か知人がそれに関した知識をもたらしてくれたり、こんなことはざらである。
前に宮部みゆきさんが「RPG」の後書きで、自分が必要としていたパズルのピースを北村薫さんがたまたま送ってきたファックスの中に発見したというようなことを書かれておりましたが、物書きという人種はとかくシンクロニシティを体験しやすいようです。
いえば、まあ、天の導きとか神様の差配だとか、そんな表現になるのでしょうが、私がシンクロニシティに興味を抱くようになったのも、これを幾度となく体験してきたからでしょう。
このシステムがうまく機能するようになれば、その人間の人生は必ずうまくいく。
それが無意識にわかっていたのかもしれません。
シンクロニシティは肩に力を入れて力んでいる時には機能しません。
何か欲しいものがあってそれに執着している時にも機能しません。
ただ、目標とするものがあって、それに向かって努力している時、しかもその実現努力に集中しているので、執着部分にはあまりこだわっておらず、むしろ天にゆだねているような気分の時、シンクロニシティは起こります。
これを小説家に照らして考えると、なぜ小説家がシンクロニシティを体験しやすいかが見えてきます。
小説家は一本の作品を完成させようとします(目標)。
そのために構想を行い、執筆します(努力)。
執筆中は物語を描くことに集中しているので、執着からは離れています(天にゆだねた状態)。
ゆえに小説家が執筆中に求めているものが、不思議に彼の周りに集まってくるという現象が起きてくるのです。
シンクロニシティがなぜ起きるのか、科学的な解明はまだですが、やはり先端科学、量子理論がその領域に迫りつつあるようです。
そういえば武術でも、ゆるんでいるときが一番人間は力を発揮しやすいとか。
ゆるむというのは大事なことなのです。
鼻息を荒くして、ものに執着して努力してもなかなか成果は出ません。
皆さん、ゆるで行きましょう。ゆるゆるのゆるです。