ようやく姿を現しましたね、薫葉くん。
ようこそ、「ZEPHYR」へ。
神社というフィールドには、特殊なものがあります。
いや、神社というよりも、「神社」というものが置かれている場には、といった方が正確でしょう。
私の知る限り、人を選ぶ(?)神社はいくつか存在しています。
奈良の天川弁財天(内田康夫先生の作品も登場する)など、その代表格でしょう。
天川にはその時が至った者しか参れない、特に不浄な目的を抱く者を寄せ付けない傾向があるようです。
玉置山などもそうです。
もう十年ほども前になるでしょうか、私も一度、天川訪問に失敗しています。
その後、やっと再訪が叶ったのですが、その時には柿坂神酒之佑(かきさか・みきのすけ)宮司が早朝のお勤めをされるときに同席させてもらい、なんとも心身共に洗われる心地がしたものです。
また地神様というのも無視できないものがあります。
君が思っていた神社に行けなかったのには、それなりの理由があるのかもしれません。
もっともそれは自分が今考えている理由とは違っているかもしれません。
これと決めつけないで、その理由を悟るのを待つといいでしょう。
きっと意味があると思います。