神社つながりで思い出したことがある。
以前、京都府でミステリー・イベントを実施したことがある。「京都丹丹城ミステリー」という、京都の南端と丹波丹後地方を取り上げたイベントで、実施はたしか2000年の1、2月に行われたはず。
その取材は前年1999年の4月5日~10日にかけて行われた。
三つの地域を取材し、使える題材や面白い伝説などを掘り起こしながら、イベント用の原作小説を構想しつつのロケハンだった。
4月とはいえ、丹後半島の海沿いなど猛烈な寒風が吹きすさんでいて、非常に寒かった。
京都市街から綾部を抜け、大江山へ向かう途中のこと。
ちょうど高台になった場所から、これから向かう大江山の方向が良く見晴らせた。
大江山は酒呑童子の鬼伝説で有名なところだ。
そのほど近くに元伊勢(三重県の伊勢神宮が元あった場所で、全国に26ヶ所ほどある)があることを、私は事前の調査で知っていた。
そこを一つの取材ポイントに指定していたのだが・・・。
なんとこれから向かう大江山の上空にはもの凄い暗雲が。
そしてそこから幾筋もの雷光が大地に放たれているのが、何度も見えた。
さすがにぎょっとした。
それはまさに神の怒りに見えた。
びびった。
ミステリー・イベントのロケハンなど、神様からすればとんでもなく不敬で、けしからん連中に該当するのかもしれない。
そして雨。
激しい雨が降り出し、車のボディを叩きはじめる。
スタッフも「先生、元伊勢は明日にしてもいいですよ」という申し出。
稲妻が降り注ぐその場所へ私達は向かおうとしているのだ。そりゃ、誰でもそう言う。
しかし、私は「いや、行きましょう」と恐怖感を押し返して言った。
雨はますます激しさを増し、完全などしゃ降りになった。
元伊勢の神様から拒絶されている?
そんな風に思えた。
だが、私はどこかで「これは試しだ」と感じる部分があった。
試されている。そんな気がした。
そうまでしてでも私は元伊勢に行きたかった。そこには何かがあると思った。
イベントのためとか言うよりも、自分にとって重要な何かが。
だから祈った。
やがて車は大江山の元伊勢に近づき、由良川を渡ろうとした。
そのとき。
すでに雨脚は弱まり、西へ傾き始めた日差しが、霧に覆われたようになった視界へ差し込んでいた。
「虹だ!」
誰ともなく叫んだ。
奇跡のような光景が現れた。
私達が渡っている由良川、その上に虹が架かっていた。
それも二重の虹だ。
私達が渡ろうとするその瞬間、その虹が由良川の上に現れた。
鮮明な美しい虹。しかも二重になった虹。
パァーッ、と心がその瞬間、光に満たされ、重いものが取り払われた。
元伊勢の神様に受け入れてもらえた!
そう思った。それだけでなく、とてつもなく大きな祝福を受けたように感じた。
二重の虹など見ることはまずない。
しかもそれが由良川の上に、私達が渡る瞬間に現れる。
このような感動的なシンクロニシティを体験したことはなかった。
シンクロニシティはそれだけにとどまらない。
大江山の元伊勢は、全国でも唯一、外宮と内宮の両方を持つ。
まず外宮へ。
そして内宮。
そして内宮には奥宮があった。
天の岩戸神社。
そこは狭い渓谷の底に巨大な岩を落とし込んで、まさに岩戸のように封じられている神域だった。
そこへ降りていく途中、スタッフが叫んだ。
「あ、鳥だ!」
私は見た。迫り来る夕闇の中、渓流の岩場から一羽の白い鳥が飛び立ち、まさにその岩戸の奧へ飛び去っていくのを。
体の芯が震えるほどの神秘体験だった。
「先生、あの鳥、神様じゃなかったんでしょうか」
スタッフの口から自然とそんな言葉が。
私も同感だった。
その年、まさにその月、今にして占星術的な確認を行うと、私の出生の月に、進行した太陽が120°の幸運角、幸運のアスペクトを形成している時期だった。
太陽と月の良好な結びつきは、生涯の仕事、一生を共にする伴侶との出会いなどをもたらす。
4月15日、その太陽と月の結びつきは誤差ゼロ、完全に正確なアスペクトを形成した。
そのわずか9日ほど前に、私は全く無意識に元伊勢を訪れ、そのような出来事に遭遇していた。
素晴らしい。
この世界は完璧だ。
あまりにも見事な符合。
死者が蘇ったわけでもない、海が割れたわけでもない。
しかし、あの日の出来事は私には真性の奇跡そのものだった。