伎比佐の大岩:島根県出雲郡斐川(仏経山)
日本全国津々浦々いろいろなところに出掛けているが、こと聖地に赴いて雨に降られたことはほとんどない。いわゆる晴れ男である。降水確率でいえばおそらく5%以下ではないか。朝出掛ける時に土砂降りでも現地に到着すると晴れていることなどざらである。祈雨の神には嫌われているのだろう。あるいは日神に好かれているのか。
出雲は梅雨のさなかだ。当日朝の天気予報は一日降ったり止んだりで、宿を出る時も雨が降っていたが、不思議なことに車を降りると雨は上がり、乗るとまた小雨が降りはじめる。昼過ぎに宍道湖の北側でふと空を見上げると、重く垂れこめた雲の間にわずかに光が差しこんでいた。出雲でよくお目にかかる"天のきざはし"だ。天啓よろしと計画を変更して山に登ることにした。目当ては伎比佐(きひさ)の大岩である。
出雲は巨石信仰の宝庫だ。岩石を祀る民俗としてはおそらく日本一ではないか。山陰中央新報社は「石神さんを訪ねて」なるガイドブックを出版していて、続編を含めて約100ヶ所の石神が紹介されているが、その中でもこの大岩はとびっきりの石神のひとつだと思う。
この大岩は仏経山の麓にある曽枳能夜(そきのや)神社の元宮にあたり、風土記出雲郡の条には以下の記述がみえる。
神名火山。郡家の東南三里一百五十歩。高さ一百五十丈、周り一十五里六十歩。曽支能夜の社に坐す、伎比佐加美高日子命の社、即ち此の山の巌(みね)に在り。故、神名火山と云ふ。
曽枳能夜社はかつて訪れた神社だ。その時は仏経山中に元宮があることは知らず、ずっと気になっていたのだった。古事記の垂仁天皇記には「出雲国造の祖、名は伎比佐都美」とあり、伎比佐加美高日子命に通ずる神名であることから出雲国造の祖神とする説もある。社殿裏の境内社には伎比佐社の他に、出雲大神社、韓国伊太氐奉社などが祀られている。韓国伊太氐奉社は延喜式内社で、素戔嗚尊とその息子五十猛尊を祀っている。日御碕神社の摂社、韓国社に同じく、出雲と朝鮮半島の関係を考える上で非常に興味深い。このことはいずれどこかで記そうと思う。
さて、ここから600mほど山の方へ入ったところに本誓寺という臨済宗の寺がある。本宮へはこの脇から登っていくらしい。少しはなれた駐車場に車を停めさせてもらう。あたりを伺うが、いまひとつ登山口がよくわからない。本誓寺の石段を掃除されていた女性に聞くと、寺の脇よりもうひとつ向こう側の道を上って、そのあたりの家の人に聞いてほしいとの由。
庭先でなにやら作業しているご婦人がいる。道を聞いた。「これから登るの? 道も悪いし、けっこうあるよ。うーん、片道一時間くらいかかるかねぇ」「道はどんな感じですかね?」「真っ直ぐ行って少し右だっけかな。しばらく行ったら左行ってまた右行くとあるよ」真っ直ぐ、右、左、右と頭の中で復唱する。ご主人が家の中から出てきた。「そこの柵外してもらって。獣が入ってくるんでね。とにかく真っ直ぐ登ってくと突き当たるんでそこを左。そこからしばらく歩いてくとちょっと開けるんでそこを右。で、ずっと行くとまた開けてくるから。そのあたりにありますよ」
教えてくれることが微妙に違うので戸惑っていると「とにかく真っ直ぐ行きゃ大丈夫」「ところどころ道が崩れてたり、木が倒れてたりするんで気ぃつけて」「なに、40分くらいで着くよ」と口々に話される。標高366mの低山の中腹なのでもし道に迷ってもなんとかなるだろう。お二人に礼を言って早速登りはじめた。
昨晩から朝方にかけて雨が降ったせいか、道はぬかるんでいる。トレッキングシューズを履いてはいるものの、足元はやや覚束ない。そうそう人が登る山ではないので、雑草の繁茂も甚だしく踏み跡すら見えない。ところどころ木にテープが巻いてあり、どうやら迷うことはなさそうだ。とにかく真っ直ぐ登っていくと三叉路に出た。削られた樹肌に朱で「伎比佐神社の本宮(大岩)参拝道」と記してある。少し安心して左へ。
出雲在住の巨石ハンター、須田郡司氏は石の声が聞けるらしいが、思い入れゆえにせよ石に表情や人格を見いだすのは人類に共通することなのかもしれない。だが、現代に生きる僕たちはそうした感性を失っているのではないか。文化人類学者の岩田慶次は、東南アジアの未開民族のフィールドワークを通して、その感性を「野生の眼」と呼んだ。すなわち、「生きもの」をとらえる鋭い能力、全体像の直感、鋭い透視力、類推の能力、(生命の)アイデンティティーをめぐる鋭敏な感受性、である。岩田はこう投げかける。
実際、われわれについてみても、科学的、論理的思考だけが正当性を持つものではなくて、象徴的、比喩的表現もすこぶる重要なのである。とくにーここでは詳論をさけるがー社会の一体性を維持し、文化の統合を高めるためには、条理をつくすことと共にそれが可能である場所を用意する必要がある。その場は、たとえば広場としての物理的な場でもありうるが、同時に深層心理のなかに秘められた場の表現でもなければならないのである。そして、そのためには比喩、換喩(原因と結果、内容とその容器などの関係を変換して置きかえる)、隠喩(あるものをそれに似た性質の別のものでしめす)といった言語表現の問題が、そしてひいては象徴による場の表現がどうしても必要になってくる。この点においては、未開人も詩人なのである。(出典*1)
古代人はそもそも石への認識のあり方が我々とは異なっていた筈だ。磐座を神の主体とするか媒体とするか、磐境を祭祀場とするか古墳とするかなどという議論や分類は、後世の学者たちのものだ。「野生の眼」を持って対象を凝視してみなければ、本当のところはわからない。先日、花崗岩の巨石がひしめく瑞牆山(山梨県、標高2,230m)に登ってきたが、ガイドサイトに載っている大ヤスリ岩と桃太郎岩を除いて、石を眺めているハイカーはほとんどいなかった。〆縄がめぐらされていたり、案内板が立っていたりしない限り、ただの岩石であり、人は一顧だにしないのだ。
下山すると、さきほどのお父さんが庭先で仕事に勤しんでいる。声を掛けると笑顔で迎えてくれたが、その顔は誇らしげでもあった。伎比佐の大岩までの山道は、麓の有志で整備したという。
(2021年6月12日)
出典
*1 岩田慶次「カミの人類学−不思議の場所を巡って−」講談社文庫 1985年
参考
出雲の石神信仰を伝承する会「神名火山【仏経山】〜石神さま巡拝」2017年
村井康彦「出雲と大和−古代国家の原像を訪ねて」岩波新書 2013年
平野芳英「古代出雲を歩く」岩波新書 2016年
藪信男「曽枳能夜神社」谷川健一編『日本の神々−神社と聖地- 第七巻 山陰』白水社 1985年