神戸神社:和歌山県東牟婁郡古座川町高池宮ノ下323
宿に着いた時は土砂降りだった。午前中はそんな素振りは露も見せていなかったのだ。熊野は雨が多い。空も気まぐれだ。打ちつける雨の中、車を脇の駐車スペースに停め、避難するように宿に入る。玄関の様子は、旅館というよりも民家。誰も出てこない。ここでよいのだろうか。不安がよぎる。「ごめんください」と声を掛けると、奥に続く厨房のようなところから女将と思しき女性が出てきた。不安は当たっていた。訝しげな顔の女将さんは、予約が入っていないという。
あらためて確認してもらうとネットには予約が入っていたらしい。宿の主は高齢のため、予約情報の受け渡しはアナログで行っていて、担当者が変わってから度々こういうことが起こるのだと憤慨している。部屋はあるが、食事の準備が難しいという。車でどこかに行くことも考えたが、やはり酒は呑みたいと伝えると、近くの居酒屋に車で送迎するのでそこで食事をしてほしいとの由。ところが電話してもらうと満席。結局、宿で食事を用意してもらうことになった。旦那さんも出て来て、頻りに謝ってくれるのだが、なんとも侘しい気分になる。急拵えで用意してもらった部屋の掛け布団は、ミッキーマウスの丸三つをあしらったものだった。つげ義春の漫画さながらで、残念な気分になった。
翌朝の朝食前。宿のすぐそばにある神戸神社を訪れた。そもそもこの宿にしたのは、この神社が近くにあったからなのだ。宿の前、芳渓館互盟社という若衆宿(*1)の脇の路地を入るとすぐに神戸神社だ。背後に小山があって、いかにも熊野らしい。火焚き神事で有名な神社で、このあたりの鎮守だと思うが、いわゆる鎮守とは設えが異なる。鳥居はない。社殿もない。あるのは石組みの結構だけである。御神体はおそらく樹々、或いは背後の山だろう。境内の隅、巨樹の傍に案内板が立つ。
路地の奥が神戸神社の森
古座川町指定文化財
天然記念物 神戸神社の社叢
この地方の本来の森林である照葉樹林の姿
をよく保存している たとえば
イスノキ・ヤマモガシ・ヤマビワ
ミミズバイ・ヤブツバキ・モチノキ
バリバリノキ等がみられる 樹木の種類
だけでも50種を数え この植物群落の
豊かさと複雑さを示している なかでも
タシロランは稀少な腐生植物で栽培の
不可能な自生地の保護の必要なもの
である
平成七年七月二十日指定
古座川町教育委員会
風が吹く。鳥が囀り、樹々の枝葉が揺れる。前夜に降った雨のせいか、朝の境内は洗われたかのような清々しさだ。気持ちがいい。なにかに包まれているような気がする。それは大昔からこの地の暮らしに根差すなにか、連綿と続く暮らしが紡いだなにか、それを神というなら神と呼んでよいと思う。神々しいとか、神さびたということばがあるが、畏れを伴うものではない。あえてことばにするなら、それは「安心」だろう。たぶん、ここに暮らす人々にとっては当たり前の風景なのだ。だが、すべてを”カネ”に還元され、価値づけされる社会で生きる人々、或いは日々の業績や利益、KPIなどで縛られ、見えない誰かから管理される人々にとって(そのような感性を持つ人だけだが)ここはまったく別の意味を持つだろう。現世利益とはまた違った、ひとの祈りの根源を感じる。
当社は紀伊続風土記に「神殿明神森」とあり、付記に「木を神体とす」とある。神殿(こうどの)が転じて、神戸(こうど)となったと思われるが、要するに神坐す森で、熊野のあちこちにある矢倉、高倉神社と同じ様相を呈している。小山の麓、石の玉垣で囲われた中に、石組みの神座。そこには長方体の人工石やタフォニ石(*2)が据えられているが、そのすぐ後ろにある樹木こそが御神体だろう。巷間、アニミズム、八百万の神というが、ここでは神々がその体をそのまま晒している。
朝食を終えて女将さんに勘定をお願いしたところ、迷惑を掛けたので半額でいいという。それはいけない、ちゃんとサービスを受けたのだからと、押し問答になったが、彼女はそうしなければ自分の立つ瀬がないと云う態で、その剣幕に押されて半額をお支払いした。
昨夕車を停めた場所は宿の裏手だった。ここでいいからと断ったが、女将さんは車まで見送ってくれた。正面の玄関から出る。若衆宿のことを尋ねると「そうなんや。ここ司馬遼太郎さんが書いてくれたとこ。時々お客さんに聞かれるんよ。知ってる人は知ってるんやね。やっぱり写真とか(宿の中に)飾っとかなあかんかな。そうしよかなぁ」。そして何度も昨夕のことを詫びるのである。「お母さん、もういいから。気にしないで。あなたが悪いんじゃないよ。また来るから」と慰める。と、彼女の顔はみるみる崩れてしまい、ぽろぽろと涙を流しはじめ、そしてついに両手で顔を覆ってしまった。車を出す。バックミラーには、女将さんがいつまでも手を降る姿が映っていた。
昨夜の食事は多く、里芋のコロッケと鶏の南蛮を残してしまったので、弁当を拵えてもらうよう頼んでおいた。昼過ぎに瀧本の矢倉神社に着いた僕は参拝の後、桜を眺めながら車の中で弁当を広げた。女将さんの涙の味がした。
(2020年3月20日)
注)
*1 若衆宿(若者宿)
若者組に属する青年が集まったり寝泊まりしたりする家。若衆宿。泊り宿。泊り屋。(出典:デジタル大辞泉 小学館)
*2 タフォニ
https://ja.wikipedia.org/wiki/タフォニ (Wikipedia)
参考)
「忘れられた熊野-熊野大辺路筋に残る矢倉神社の群落」宮本誼一(所収:古美術 42 特集 南紀の風土と文化 1973 三彩社)
「祈りの原風景-熊野の無社殿神社と自然信仰」桐村英一郎著 森話社刊 2016年
「街道をゆく8 熊野・古座街道、種子島みち ほか」司馬遼太郎著 朝日文庫
和歌山県神社庁ホームページ
http://wakayama-jinjacho.or.jp/jdb/sys/user/GetWjtTbl.php?JinjyaNo=8050