石老山:神奈川県相模原市緑区寸沢嵐


読者に「岩石にあたった」ことのある方はいるだろうか。ここでいう「岩石」は巨石や奇岩の類、「あたる」は「牡蠣にあたる」ように毒にあたって身体を害することだが、僕はこれまでに何度か「岩にあたった」ことがある。これでもかというほど巨石を見ていくとその内にくたびれ果ててしまうのである。自家中毒ではないが、岩それ自体の存在感にあたっているのかもしれない。とは言え、岩石は面白い。まるで人格を備えているかのように、それぞれに表情がある。笑っている岩もあれば、怒っている岩もあるし、こちらを窺っていたり、言葉を発しているような岩もある。


石老山は好事家には関東有数の巨石の山として知られる。イワクラ学会も2018年に八王子で開催したイワクラサミットで、この山をツアーの場所に選んだ。登山好きの今上陛下も数年前に登ったことがあるという。標高は702.8mと高くはなく、首都圏から日帰りできる山として手頃なハイキングコースだ。


中央自動車道の相模湖東インターを下り、相模湖沿いに車を走らせる。5kmほど走ると石老山入口の標識が見える。ここを右折。1kmも行くと相模湖病院があり、その脇が登山口だ。病院の駐車場は登山用途も兼ねているのでここに車を停めさせてもらう。


山に入るとすぐに「石老山の岩の歴史」と題された看板。そこから岩、また岩と、次々に巨岩、奇岩が現れることになる。

「石老山の登山道で見られる岩石は礫岩(礫という直径2mm以上の石のかけらが泥や砂とともに固められてできた岩)という種類の岩石で石老山礫岩と呼ばれています。石老山礫岩は、今から約600万年前に、深さ数千メートルもある海溝(海底が細長い溝状に深くなっている場所)にたまってできました。海底にあった礫岩が、現在、石老山で見られるのは、地球の表面を覆っている岩盤(プレート)の動きによって押し上げられて、山になったからです」

滝不動

屏風岩


仁王岩(阿吽岩)


巨石にはそれぞれ名前がついている。こうした山は大概は修験の山だ。登山口から15分も歩けば、そこは顕鏡寺という寺院。石老山はこの寺の山号である。創建は平安時代、貞観18年(876年)、源海法師によるといわれる。境内にある蛇木杉と道志法師が宿とした岩窟が見どころだ


顕鏡寺


開創した源海の父母は京の宮人、三条殿と八条殿の若君姫御といわれ、東国に駆け落ちした際、当寺境内にいまもある道志岩窟に隠棲したという。ほどなく男児を授かるが、親子は悲運にも離散する運命に。成長した子は諸国行脚の末、両親と再会できたが母のみを連れ京に帰る。やがて彼は仏道に目覚め、悟りを得る場として道志岩窟を選び、ここに顕鏡寺を興した。この道志岩窟に案内したのは、相模国糟屋(現伊勢原市下糟屋)の宿の主人である。糟屋宿(かすやしゅく)は古くから山岳信仰のメッカであった大山の麓にあり、この石老山の岩窟も当地の行者にはよく知られた行場だったのではないだろうか。


道志岩窟


この岩窟の脇に朱の鳥居がある。扁額には「飯綱宮」とある。ここから山腹の奥の院、飯綱権現社の神域になるのだろう。鳥居をくぐり、山道を進む。師走の土曜日、シニアのハイカーやトレイルランニングに勤しむ若者がちらほら。熱心に巨石の写真を撮影する初老の男性がいたが、ほとんどの人は岩は素通りである。奇岩、怪石、巨大な岩塊が次から次へと現れる。なにせ、登山口の看板には名前のついた巨石が15もあるのだ。同じく奇岩、怪石で知られる筑波山に匹敵する巨石ワンダーランドである。一つひとつ丹念に鑑賞していくと下山出来なくなってしまうと先を急ぐ。


蓮華岩


鏡岩


中腹に差し掛かると、奥の院、飯綱権現社に出会う。社殿に覆い被さるように聳える岩塊は石老山でもっとも大きいとされる擁護岩、別名雷電岩だ。高さ22m、横幅は19mもあり、威容をそなえている。飯縄権現の起こりは長野県の飯縄(飯綱)山を中心とする山岳信仰とされ、中世に神仏習合したと伝えられている。室町から戦国時代の武将の信仰が厚く、上杉謙信は兜の前立に飯縄権現を用いていた。管狐(注1)に乗り、右手に降魔の剣、左手に縛索を持ち、翼と炎を背に負う烏天狗の姿は、不動明王を原型とするものの、明らかな異形、異相だ。飯綱権現が授ける「飯縄法」は、中世から近世には邪法、外法とされており、また忍法の祖ともされるなど、聖俗混淆するたいへん面白い世界である。因みに、石老山の近くでは高尾山薬王院が飯綱権現を祀ることで知られている。この奥の院のあたりで名前のついた巨岩はほぼ終わる。山頂に向かう。






山頂からは丹沢山系の向こうに富士を望むことが出来る。ここからは東雲山、大明神山と、ただ下っていくだけなのだが、大明神展望台を過ぎたあたりから、また様相が変わってくる。またしても、岩また岩である。谷や沢に沿ってさまざまな岩がこれでもかというほど現れる。名前こそないものの、思わず唸ってしまうような岩また岩。樹々の間から冬の午後の柔らかな陽光が差し込み、苔むした岩が照り映える。まるで神々の降臨を見ているかのような神さびた景色があちこちに広がる。かつては行場であったと思われる場所も随所にあり、飽きることはない。だが、冒頭に記したように「岩にあたる」のである。こちらの精気を岩に吸い取られていくような気がするのだ。徐々に傾斜が緩やかな下りになっていく。やがて岩はなくなり、植林の杉林の中を歩く。舗装された県道に出てひと息ついた頃には、僕はかなり消耗していた。






さて、この山の岩は一体なんなのだろうか。磐座なのか、神体なのか、それとも自然石に修験者が名をつけただけのことなのか。磐座の定義は研究者の間でも未だ曖昧であり、単に岩が神々の依り代と断じることは出来ない。また、仮にそのように感じ取れたとしても、それは個人の感覚に過ぎないと一笑に付されるだろう。だが、岩に注連縄が回してあったり、御幣や札が奉納されていたりすれば、人々はそこを祈りの場と認識し、ありがたがって手を合わせて拝むのである。たちまち、パワースポットに変じてしまうのだ。現代では岩に聖性を感じ、これを祀る人は、宗教者でなければ変人扱いされるだろう。岩石には人間の存在を奥深いところで揺さぶる何かが潜んでいるように思う。人間本来の感性を呼び覚ますのである。


(2017年12月23日)


追記:相模湖観光協会ホームページより

石老山については、台風19号の影響により中腹の顕鏡寺山門の上の登山道が崩落しており、通行不能となっています。他にも崩壊箇所があると思われ、当面、石老山への登山はできません。今後の、復旧の見込みは不明です


参考

相模原市立博物館ホームページ

http://www.remus.dti.ne.jp/~sagami/90-02-26mado-rekishi.html

飯縄神社公式ホームページ

http://www.iizuna-jinnjya.jp/


注1:管狐(くだぎつね)

日本の妖怪。竹筒の中に納まるほどの小さなキツネ。霊能者などによって使用される。キツネの憑き物の一種ともされる。中部、関東、東北地方に伝わる。「飯綱(いづな)」とも。(デジタル大辞泉プラス)