阿麻氐留神社:長崎県対馬市美津島町小船越352
対馬海域は大小百を超える小島で構成された多島海だ。本島にあたる対馬島は南北に82km、東西に18kmと細長い島で、北側の上島、南側の下島に大きく分かれており、阿麻氐留神社はほぼその境界、東に三浦湾を望む高台にある。このあたりの字名は小船越と称するが、南北に細長い島ゆえに、航路で島の西側に行くにはかなりの時間を要する。大船越、小船越という字名が今に残るように、かつてはこのあたりで一度船を陸上に揚げて丸太の上に載せ、牛に曳かせて運んでいたらしい。鴨居瀬漁港から浅茅湾に面した小船越の瀬戸までは500mに満たない。小さな舟なら人が担いで渡れる距離である。
下島から上島に向け、328号線を北上する。眼前に三浦湾が開けてきたら注意しよう。当社の鳥居は北側を向いており、高台の下に隠れるように立っているので、見過ごしてしまう。手前左手に公衆トイレのある広場があるので、ここに車を停めさせてもらい、参拝するとよいだろう。

鳥居をくぐり、高台に続く石段を上ると素朴な社殿。対馬や壱岐の社殿には、簡素な造りのものが多く、神社建築に関心がある向きには鼻も掛けられないところが多いが、僕は逆にこういうのに愛着を寄せてしまう。そもそも信仰や宗教と建築様式はあまり関係がない。巨大な宗教建築は大体において小賢しい後付けである。

境内は狭く、小ぢんまりとした佇まいだ。延喜式内社に名を連ねる古社で、論社はなく、学識者は古来から当地に比定しているが、アマテラスを思わせる社名で格式の高い神社だと思って訪れると、間違いなく拍子抜けしてしまう。正直にいうと僕もそうだった。だが、参拝して社殿をぐるりと回り、本殿の裏を見た時に「おや?」と思ったのだ。
そこには、大きな黒い同心円が幾重にも描かれた円板が貼りつけてあった。敢えていうなら弓矢の的だ。神事の際にこの的を目掛けて矢を放つのだろうか。しかし、本殿の裏である。いくらなんでも御神体に向かって後ろから矢を番えることはしないだろう。対馬では他にも多くの神社を訪ねたが、そのいずれでもこのようなシンボルは見かけなかった。

ところが最近、筑紫申真の「アマテラスの誕生」や、松前健の「日本の神々」を読み直していて、不意にこの神社を思い出した。アマテルといえば、おおかたの人はアマテラスを想起するだろう。だが、この二神は日神、太陽信仰に根差す神という点では同じだが、その出自は異なり、別々の神なのである。阿麻氐留神社の祭神は、天日神(あめのひのみたま)だ。対馬県主(つしまのあがたぬし)として当地を治めた古代豪族、対馬値(つしまのあたい)が奉じた祖神である。アメノヒノミタマは、太陽を神格化した神名で、阿麻氐留神と号し、神仏習合時代は照日権現と通称としたようだ。アマテルは、もちろん天照である。これに対し、皇祖天照大神の起こりを辿っていくと、伊勢志摩の磯部らが祀っていた素朴な日神だったということがわかる。国家としての体裁が固まりつつあった天武、持統朝において、その体制を確固とするためにこの神に注目し、換骨奪胎して国家祭祀の頂点に位置づけたのである。日神は、皇祖神(伊勢)、対馬のほか、尾張系もあるのだが、これら三系統の日神はいずれも海民が奉じた神だということは共通している。対馬の歴史民俗学者、永留久恵氏によれば、アマは、海であり、天であるという。

もうおわかりだろう。この同心円は太陽をシンボライズしたものなのだ。福岡の珍敷塚古墳や鳥塚古墳の壁画には太陽の舟が描かれているが、太陽の表現は正に同心円だ。太陽の舟は、エジプトや北欧など世界中の海岸の岩壁、古墳の壁画、巨石のモニュメントに同様のモチーフが認められるという。松前健は、「他界信仰や死霊祭祀と結びついていた観想らしい。(中略)こうした絵や彫刻を海岸の岩壁や古墳の壁画に描くことは、死霊の極楽往生を、それによって保証し、促進させようとする呪術的意図を持っているのであろう。その乗物が舟であることは、海洋民の産物としての特色を表している」(*1)という。阿麻氐留神社のある小舟越の周辺は、古くから海民の根拠地であり、対馬に文化が萌芽した時には既に太陽信仰はあったであろう。人間がなにかを見てイメージすることには、時空間を超えて共通するものがある。神話がその代表であり、さまざまに類型化されている。その意味でアマテルは縄文の残影といえるかもしれない。
珍敷塚古墳の壁画。左端中程に同心円(太陽)(*2)鳥塚古墳の壁画。下の石の真ん中上部に同心円。(*2)
日本各地の聖地を訪ね歩いて五年余りになった。行く先々でいつも思うのは神々と海の関係である。それは古層に遡れば遡るほど、たしかな感触をもって僕に迫ってくる。太平洋であろうが、日本海であろうが、沿岸部に坐す神々は皆、海を渡ってやってきているのだ。日本の神々は天から降臨したとするより、海の彼方から舟に乗ってやってきたとした方が、僕にはしっくりくるのである。
阿麻氐留神社境内から望む三浦湾
(2015年10月12日)
出典
*1「日本の神々」松前健著 講談社学術文庫
*2 うきは市ホームページ
http://www.city.ukiha.fukuoka.jp/imgkiji/pub/detail.aspx?c_id=71&id=18&pg=2
参考
「アマテラスの誕生」筑紫申真 講談社学術文庫
「日本の神々−神社と聖地 第1巻 九州」 谷川健一編 白水社 2000年
「対馬国志 第一巻 原始・古代編 ヤマトとカラの狭間で 」永留久恵著 対馬国志刊行委員会 2009年 交隣舎出版企画 2014年再版