大湊神社:福井県坂井郡三国町安島


数年前、福井の三国に姻戚が出来た。元漁師の家だ。何度かお邪魔して、釣り宿を営む当主と酒を酌み交わし、越前がにをご馳走になった。このあたりの酒の銘柄は「一本義」。かには「水がに」である。脱皮したての越前がにを水がにと呼ぶが、身離れがよく、透明な身は甘みも旨みも強い。鮮度の問題があるのか、ほとんどは地元で消費され、県外には出回らないという。

出典:Wikipedia「雄島」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E5%B3%B6
せっかくお邪魔したので、近隣で聖地を探してみた。越前松島水族館にほど近い当家から東尋坊に向かって車で数分も走ると、安島岬の沖合500mのところに雄島がある。面積は10haほど、周囲2kmの流紋岩から成る小島だ。東尋坊に同じく国の天然記念物名勝に指定されており、ヤブニッケイなど常緑広葉樹林が島全体を覆い、柱状節理の奇景が広がる。ここに延喜式内社、大湊神社が坐す。

島は橋で繋がっていて、橋の袂にはバスの停留所と駐車場がある。冬のさなか、観光シーズンではないためか他に車は二台と少ないが、僕はこの方が都合がよい。聖地本来の姿がくっきりするからだ。前日夜半から雨足が強くなっていたが、やっと収まってきた。霧雨の中の島影は近寄りがたい空気を漂わせている。人の住まぬ小島はそれだけで神聖視される。この島も古来から航海の安全や豊漁を願う人びとにとって特別なもので、姻戚の家の当主も折々に漁協の面々で参詣するとのことだった。

橋を渡り、島に足を踏み入れる。石畳の道の先に鳥居。その先の森の中に島の中に入っていく長い石段がある。標高が27mあるのでちょっとした小山だ。神域は薄暗く、手の入っていない森は原生林といってよいだろう。植生はヤブニッケイのほか、スダジイ、タブノキ、シロダモなど、温暖を好む樹々で構成されており、歩いていると対馬とか熊野の山の中にいるのではないかと錯覚する。これら樹々は海の近くの神社でよくお目にかかる。

二の鳥居が見えてくる。石段を登り終えて森の中を行くと、すぐにあたりが開けた。拝殿に向かって飛び石が配されている。素朴な佇まいだ。厳かな神が坐すというより、精霊のいそうな空間だ。いかめしさのないところがとてもいい。案内板の由緒を写しておこう。


この大湊神社は延喜式内社で祭神は、事代主神少彦名命外五柱で、三保大明神とも号せられ、航海、漁業の守護神として、崇敬されています。永禄年間(1558〜1569)朝倉義景は一門の祈願所と定めたが、天正年間(1573〜1591)織田信長の兵火にかかり、社殿はことごとく焼失しました。元和7年(1621年)福井2代藩主松平忠直公が武運長久、国家安全の祈願所として再建されたのが現在の大湊神社の本殿であります。この本殿は桃山様式を取り入れた一間社流れ造の杮葺で、中には伊邪那岐命のけやき一本彫の座像が安置されており、建物とともに県指定の重要文化財となっております。」

ということなのだが、このまま鵜呑みにするわけにもいくまい。海の近くにある神社の祭神は事代主、少彦名が多い。この二柱を号して三保大明神といえば、出雲の美保神社につながるだろう。日本海を介した出雲との関わりは想定できるし、僕自身そう思っていたが、手元の資料をあたると、三保大明神は「三尾大明神」の転訛したものだという。


「『三尾』は近江国高島郡の郷名で、『日本書紀』継体天皇の条に、天皇の父彦主人王(ひこうしおう)の別業(別宅)の地として登場する。彦主人王は、三国の坂名井の(越前国坂井郡)に住む振媛(ふるひめ)がたぐいまれな美人であることを聞き、三尾に迎えて妃とした。そして三尾の地で男大迹王(おおどおう・のちの継体天皇)が誕生するが、まもなく彦主人王が歿したため、振媛は故郷三国の高向へ帰り、幼い男大迹王を養育したと伝えられる」(出典1)近江国高島郡から越前国坂井郡へは北に120kmあまり。古来から往来はあった筈で、この伝説は十分にあり得る。継体天皇は坂井郡のあたりを統治していた地方豪族だったとされる。その実在性は別としても、高島あたりの豪族が進出していたことは容易に想像できるのだ。


実は、高島の水尾神社には行ったことがある。新羅からの渡来氏族の足跡を訪ねて琵琶湖周辺を巡る旅をしていた時に当社を訪ねたのだ。水尾神社の祭神は、磐衝別命と比咩神。磐衝別命は当地の古代豪族、三尾君の始祖であり、比咩神は振媛だ。社伝によれば、振媛は水尾神社の拝殿で三人の男子を産んだとされ、その一人が男大迹王である。このあたりの経緯は非常に入り組んでいる上に、この社伝も偽書として夙に有名な古文書「秀真伝(ホツマツタエ)」(水尾神社に伝えられる)を下敷きにしたらしく、さらなる考証が望まれる。

水尾神社


さて、大湊神社の拝殿を離れ、島を一周してみる。柱状節理、板状節理は言わずもがなで、方位磁石を狂わせる磁石岩、冷たい真水の湧く瓜割の水など不思議も多く、その様相はジオパークそのものだ。だが、僕にとってこの島の魅力はなんといっても樹叢にある。

 

日本に限らず、照葉樹林の森には神々が住まう。それは、僕たちの遠い祖先が樹上で暮らしていたことときっと関係があるに違いない。彼らは樹上から地に降りてきて、人類の第一歩を踏みしめたのだ。その遺伝子は、時を超えて今も僕たちを森という聖地に誘うのである。

(2016年2月13日)


参考・出典1

「日本の神々–神社と聖地–第8巻 北陸」谷川健一編 白水社 2000年