大宮八幡宮:東京都杉並区大宮2-3-1
東京都杉並区の善福寺というところに住んでいる。典型的な武蔵野の住宅地だが、一帯は旧石器時代から縄文時代にかけての複合遺跡であり、その中心に井草八幡宮という古社がある。以前このブログにも書いたが、この地を聖地ならしめたのは、おそらく近くにある善福寺池だろう。神社の傍には河川、池沼、滝といった水のある場が必ずある。人々が古くからここに居場所をつくってきたのは、水ゆえなのである。この池を源とする善福寺川は、杉並区の北西部から南東部にかけて流れており、中野区に入って神田川に合流する。この川を6kmほど下った流域にあるもうひとつの聖地が大宮八幡宮だ。
由緒については、社頭の案内板を参照しておこう。「社伝によれば第七十代後冷泉天皇の時、天喜年中(1053〜57)鎮守府将軍 源頼義公が奥州兵乱平定の途次、この地で長男の八幡太郎義家等と俱に白雲八ッ幡の瑞祥を見て戦勝を祈願され、平定後の康平六年(1063)源氏の祖神である京都・石清水八幡宮の八幡大神を勧請、当宮が創建されました。(後略)」とある。これは、社殿含め今で言う「神社」の体裁が平安時代に整ったということであり、創祀を意味するものではない。その遥か昔からここは聖域であった筈なのだ。周辺の遺跡の分布から見ても明らかだし、なにより境内の方形周溝墓が物語っているだろう。隣接地の高千穂大学の敷地内にも円墳が発見されていて、このあたりには約三十基の古墳があったといわれている。古代以前からこの地に住んでいた一族の葬所だったわけだ。
このことは何を意味するのだろう。他の投稿でも触れていることだが、聖地は祖霊信仰と深く結びついている。今ある大宮八幡宮は、連綿と続いた祖神への祀りが八幡神に上書きされた姿に過ぎないのである。宗教学者の中沢新一氏は、先頃増補改訂の上、再版となった「アースダイバー」の最終章で、杉並区和田堀、松ノ木あたりに居住した古部族を仮称ワダ族とし、当地に至った来歴をトレースしている。西方、おそらく九州から海を渡ってきた海人族(安曇族とも)は、はじめ房総半島の館山あたりに落ち着き、半漁半農の暮らしをしていた。ところが、後からやってきた阿波国の忌部氏の勢力拡大によってこの地を追われ、安住の地を求めて東京湾を横断し、現在の神田川に通ずる平川を耕作適地を求めて遡上していった。そうしてやっと見つけた場所が和田堀のあたりだった。時代としては、二世紀、弥生時代のことだという。中沢氏は「東京・和田大宮の研究」萩原弘道著を参考にこの仮説を描いているのだが、南房総や三浦半島の聖地を歩いた僕の経験からもこの説には共感を覚える。
一の鳥居、二の鳥居をくぐる。都内の神社としては長い参道を進むと、右手に多摩清水社がある。古くからの湧水地だ。その先に手水舎があるが、ここで浄めて神門をくぐる。正面の権現造の社殿の中は広く、中で祈祷をしてもらっている人々が神妙に坐してこうべを垂れている。自ら大幣を振って穢れを祓い、参拝を済ませる。両脇には摂末社が並ぶ。向かって一番左の御嶽榛名社と当社の関係が気になるが、今日の参拝の目的は「磐座」だ。
多摩清水社ジョギングがてら何度も訪れている神社の境内に、まさか磐座があるとは思いも寄らなかったのだが、前掲の「アースダイバー」でこれを知り、居ても立っても居られなくなって来てみたのだった。
磐座はなんと清涼殿という神社直営の結婚式場の入口の脇にあった。これは盲点だった。この磐座は結婚式場という場所柄か「幸福がえる」と名付けられ、撫でると幸せを呼ぶという触れ込みで、慶事に訪れた人々が記念写真を撮影したりしている。しかも「幸福がえるバームクーヘン」なるお土産まであるのだ。宮内庁御用達の菓子舗がつくっている。引き出物に使われるのだろうが、なかなか商魂たくましいではないか。

さて、大宮八幡宮にはいろいろと奇妙な噂や不思議な話がまとわりついている。小さなおじさんがその代表で、境内の稲荷社のあたりに出没するといい、目撃者も多いと聞く。他にも天女とか、白くて大きい人とかバリエーションがあるのだが、一時期話題になった都市伝説のひとつだろう。
不思議な話をもうひとつ。友人の女性からつい最近聞いた話だ。高円寺に住む彼女は大宮八幡宮をジョギングの往路のゴールにしている。ある日いつもの通り大宮八幡宮に着いて参拝を済ませ、帰路は北の神門から出て善福寺川沿いに帰ろうとした。神門の先の右手、大宮遺跡のあるあたりを右に折れたところで、かなり大きな白っぽい犬が、目の前を身体をゆさゆさと揺らしながら歩いているのを目にした。
大宮遺跡
飼い主は見当たらない。リードもついていない。こんな大きな犬について来られて、何かの拍子に噛みつかれでもしたら厄介なことになると、身の危険を感じて走るスピードを落とした。しばらくゆっくり後ろをついていったのだが、少し目を離した瞬間、その大きな犬は忽然と姿を消してしまう。左手は善福寺川、右手は遺跡で。道幅は5m程度だろうか。樹木やちょっとした茂みはあるものの、大きな犬が隠れる場所などない。彼女は訝しく思ってそのあたりをしばらく探したそうだが、件の犬は影も形もなかったという。後日、その犬のディテイルを話していたら「尻尾は巻き毛でずんぐりしていて、顔は見えなかったけれど…、あっ!狛犬かもしれない!」と宣った。この友人はこうした感性がある方ではなく、もとより霊魂とかスピリチュアルは信じていない。合理的に物事を考える部類の人であるのだが「見てしまった」ということなのだろうか。
(2019年8月4日)
参考
「増補改訂アースダイバー」中沢新一著 講談社 2019年