室生龍穴神社:奈良県宇陀市室生1297

龍鎮神社:奈良県宇陀市榛原荷坂


スピリチュアルに関心のある人々は、龍神に特別な意味をもって接しているようだ。昇龍という言葉に象徴されるように、運気の上昇と関係があるのだろうか。僕はそうした意味での信仰はないが、龍とか蛇がなぜ神であるのかについてはいたく興味が湧くので、人口に膾炙した感はあるが、室生あたりの龍神を取り上げることにする。


室生龍穴神社は、京都の貴船神社に同じく高龗神(たかおかみのかみ)を祭神とする。龗とは古語で龍の意であり、水や雨を司る。当社の効験も古来から祈雨であったという。宇陀は四方を山に囲まれた高地で、その地形から河川や滝が多く、奈良県内では降雨量も比較的多い。水に因む神として、近隣には菟田野の宇太水分神社、同じく室生の海神社などが鎮座するが、局地的に雨を呼び寄せる場所なのかもしれない。


室生寺の門前を室生川に沿って700mほど歩くと、左手に杉の古木に囲まれた古社がある。深閑とした森の中にあるその居ずまいは、たいへん厳かで、張りつめた空気を感じる。拝殿の扁額には善女龍王社とある。善女龍王は法華経では八大龍王の一、沙掲羅龍王(しゃかつらりゅうおう)の三女とあり、今昔物語集にもその名が見える。空海が京都の神泉苑で他の高僧らとともに請雨経の法を行った際、金色の小さな蛇身として現れ、雨を降らせたと伝える。やはり拝殿の設えは、どことなく神仏習合を感じさせる。かつては室生寺の支配下にあり、祭祀は仏式に則って行われていたようだ。神仏分離後もこれは変わらず、渡御の行列も室生寺の天神祠から出発するという。




この神社の本貫は社殿のある場所ではなく、吉祥龍穴なのだが、なぜここに社殿を構えたのかについては記しておくべきだろう。

「室生の賢憬(注)が龍王の生身を拝むため龍穴に深く入ったところ、その奥に龍宮があり、机の上に法華経一巻が置かれて光を発していた。そこに一人の男があらわれて、賢憬に何の用かと尋ねたので、龍王の生身を拝みたいのだと答えたところ、ここでは狭いから龍穴の外で会おうとのことであった。外で待っていると、300mほど離れた水面上に龍王が衣冠を着して腰から上をあらわした。賢憬は地にひれ伏して拝んだが間もなく姿が消えたので、そこに龍王の姿を刻んで祈った。その場所が今の龍穴神社であるという」(出典)


さて、吉祥龍穴だ。神社を出て左に行くとまもなく道沿いに吉祥龍穴の看板がある。これを左手に折れて林道を登っていく。途中に天の岩戸の標札があり、ふたつの巨石の間に〆縄がかけられている。「室生龍穴神社境内です」との立札も立つが、その関係はよくわからない。

さらに登っていくと左手に白い鳥居と、吉祥龍穴の大きな看板。鳥居をくぐり、下の川に降りていく。水の流れる音が聞こえてくる。川面に四阿が立っている。対岸の龍穴の拝所である。靴を脱いで参拝する。龍穴は岩の裂け目で、〆縄が渡してある。果たして生身の龍神はいるのだろうか。賢憬に同じく、川を渡って中を覗きたくなる。川は浅そうなのだが、そうした装備は用意していないので断念。右手を見ると落差は低いが滝がある。深呼吸してみる。あたりにはマイナスイオンが充満しているのか、とても気持ちがいい。この滝から迸るように落ち、蛇行しながら再び滝に向かう水を龍に見立てたのではないか。その間にぽっかりと口を開けた洞窟は、紛れもなく龍神の住処なのであろう。




日が落ちてきた。吉祥龍穴を後にする。室生寺を参拝してから投宿しようと思っていたのだが、残念なことに冬場の室生寺は閉門するところで、入口で門前払い。ならば、以前から気になっていた龍鎮渓谷に行ってみようと思い立ち、車を走らせる。宇陀川に差し掛かる手前を左に折れて室生ダムの周りを進むと、やがて深谷川にかかる橋に辿り着く。擬宝珠のついた欄干が朱に塗られた橋だ。あたりに駐車するスペースがないので、橋を渡る手前に思いきり車を寄せる。橋を渡った先が龍鎮渓谷への入口である。


12月初旬の夕方に訪れる人などいるわけもなく、ひとり深谷川沿いを歩いていく。と、眼下に小屋のような拝殿が見え、その先の樹に龍鎮神社参道なる札が結わえつけられていた。見れば鳥居もあるではないか。渓谷の名称からして、ここに龍神が祀られているのは不自然ではない。なにか特別な聖域でも見つけたようで気がはやる。鳥居から一気に川辺まで駆け降りてみた。


小さな滝壺がある。流れは早く、水の色は深い暗緑色だが透明である。それ自体にいたく神秘を覚える。川下を眺めると川の間に長い〆縄を渡してある。龍神の住む場所として結界が張られているのだ。手前に拝殿、川向こうには小ぶりの鳥居と小祠。冒頭に龍神への信仰はないと書いたが、誰もがここに龍神が鎮ると思うだろう。龍穴こそないが、明らかに龍が住まう場所、水を司るなにかがいる場所なのだ。ここは海神社の境外摂社だが、海神社自体が室生龍穴神社から移されたという伝承もあり、室生の地一帯が祈雨の聖地であったことがわかる。





ところで、出雲の斐伊川は八岐大蛇に擬えられている。理由は二つある。一つは蛇行し、よく氾濫するということ。もうひとつはかつてこの川の水が上流から運ばれてくる砂鉄を含み、血の色をしていたということだ。のたうち、暴れ回る八岐大蛇がスサノヲによって退治され、大量の血を流したのだ。このことを考える時、僕は蛇行する川を龍蛇に見立てる古代人の、すぐれた詩的感性を想うのである。


龍神は、仏教をはじめとする中国から渡来した信仰が、日本の風土に培われたアニミズムというフィルターを通して習合し、独自の信仰を形成するに至ったものと思う。ミヅハノメ≒蛇神と、ワダツミ=海神の間をつなぐ神のありようである。人間が生きる上でもっとも必要なものは水である。水はあらゆる生命の根源にあるものだ。水をもたらすものは、なんであろうとそれはカミなのではないだろうか。


石ノ森章太郎の初期作品に「龍神沼」という小編がある。1969年に発表されたもので、後年作者自身が自画自賛したロマンティックな物語だ。僕は小学校二年か三年の頃に筑摩書房から上梓された現代漫画全集でこの作品に触れたのだが、五十年あまり経って、いま再びこれを読みたくなった。


龍の次は、蛇だ。


(2016年12月11日、2014年5月31日)


奈良時代の法相宗の僧。室生寺を創建した。

出典

「日本の神々-神社と聖地-第4巻 大和」谷川健一編 白水社 2000年