浦底の杜:福井県大飯郡おおい町大島123-13(清雲寺前)
いつかは訪れたいと願っていた聖地に、やっと行く機会を得た。但馬国の式内社や、丹波国の元伊勢を巡る旅を計画していて、地図を眺めていたら思いの外近いということがわかったのだ。豊岡市内からだと車で二時間近くかかるが、車道は空いていてストレスはない。朝一番でコウノトリの生態を見てから現地に向かった。
ニソの杜は、大島半島にある24家の開拓祖先を祀る森で、ほぼすべての集落に存在する。現在確認されているのは32ヶ所だが、いまだ祭祀が行われている杜は10ヶ所前後にまで減少しているという。祭祀は旧暦11月23日(現在は新暦)に行われる。前日の22日深夜に当番が家族一人を伴って杜に赴き、祠に御幣を立てて赤飯と白餅を供え、翌日はこの杜を祀る七、八戸の講中で直会をする。ニソ(或いはニーサン、ニンソ、ニソー)という名称は、新嘗祭でもあるこの祭日に因む。(柳田國男他) 祭日を除いて森に立ち入ってはならず、一人でお参りをしてはならない。また、この森の木を伐ると怪我や病などの祟りがあるなど、強い禁忌のある聖地なのだ。民俗学者の宮田登氏は、ニソの杜を「日本民俗学界がこぞって注目した聖地信仰の典型」であるという。
知らなければただの森である。当地に赴いてもなにも手掛かりがないであろうことは予めわかっていたので、可能な限り情報を収集した。文末に参考文献を記したが、頼りになったのは敬愛する岡谷公二氏の著書「神の森、森の神」と、週刊現代の記事である。前者は各所のディテイルを周辺の状況を含めて丁寧に記述しており、後者は存在が確認されるニソの杜三十二ヶ所をその名称とともに、地図にプロットしてある。僕は後者の大まかな地図で見当をつけながら、Google Mapにプロットし直し、その地図を手に前者の記述と照らし合わせながら現地を歩くことにした。
青戸大橋に入り、海の中を大島へ入っていく。島全体が鬱蒼とした森のようであり、その中に吸い込まれていくような感がある。まずは島の入口に近い浦底の杜を目指す。清雲寺という古刹の向かい側にあるという。ほどなく現地に到着し、清雲寺の手前の駐車場に車を停めた。
ふと左手を見ると二本の棒の間に綯った縄が渡してあり、真ん中に絵馬のような板が吊り下がっていて、なにやら書いてある。墨書だからか雨で滲んでよく読めない。板の表には、奉 説読 毘沙門経、奉 心読 般若心経、奉 転読 大般若理趣分などと書いてあって、経文のような文言が続き、敬白と結んで平成三十一年睦月拾一日とある。また、裏には「七難即滅」とした後に、物部右近太夫以下、物部姓の名前が八名続き、「七福即生」と結び、諸旦施主等とあった。明治新姓以前、この島には藤原、物部の二つの姓しかなく、物部姓は浦底の集落の人々だけだったという。島の各集落では正月になると社寺に集まり、蛇縄を綯って、勧請板をつくり、祈願する習俗がある。若狭をはじめ、滋賀、京都、奈良などに残る勧請縄、いわゆるオコナイである。
斜め前の家屋の前で老年の男性が洗濯物を干している。浦底の杜を尋ねてみるとすぐ裏の小山を指差した。祠が二つあり、左側にはこの杜のカミが、右側には白山大権現が祀られていると教えてくれた。あたりにはタブノキ、椎、椿などの巨木が繁茂し、祠の前には教育委員会の案内板が立つ。どうやら最近は訪ねてくる人が増えたようだ。森というよりも、様々な種類の樹々が生い茂った小山なのだが、その様子はまったく手入れをされていない古墳といえばよいだろうか。帰って資料に当たると、じっさい浦底の杜は古墳であったようで、森の中は盗掘なのか、かなり荒らされた形跡が残っているとあった。
こちらの先入観によるものか、たしかに森の放つ気は強い。やはり、ここは紛れもない聖地なのだ。僕のイメージの中のニソの杜は、曇天の下のこんもりとした濃緑色の森で、タブノキを中心とする樹々の枝葉が怪しげに広がり、森の中は昼間でも薄暗く、陰鬱な空気が漂うというものだった。そして僕は、中に通ずる入口がわからず、ひそかに森の中を窺っていたら、島の人からきつい口吻で咎められるという状況を、なんとはなしに頭に描いていたのだ。つまり、おっかなびっくり、恐々と訪れたのである。だが、初夏の晴天の下に見た浦底の杜は、洗濯物をのんびりと干す老人、伸び伸びと広がるタブノキの樹勢、野鳥の囀りも相俟って、古くから当地に住まう人々の生活に寄り添う、あたたかな森といった印象さえ与えてくれたのである。
現地を訪れてわかったのだが、島の人々は「ニソの杜」という名称さえ不確かで、祖父母からなんとなく聞いたような気はするものの、どこにあるのか、それが何を意味する場所なのかについてはほとんどわからないという態だった。浦底の杜から海沿いに出て、三ヶ所のニソの杜を見て回ったのだが、釣宿で尋ねた時も出て来た若主人の反応は鈍く、お年寄りに聞いてみたらわかるかもしれないという曖昧なものだった。それは高齢者においても同様で、尋ねても戸惑うばかりで明らかな返事は返って来ず、路地にたむろする他の老人に聞き回ってやっと行きあたるのだった。ニソの杜は国の無形民俗文化財だが、杜を守る宗家や講中(恐らく齢八十を超える老人たち)と、教育委員会、学者以外の人々は、もう一顧だにしないのではないだろうか。
(この項続く)
参考
「神の森 森の神」岡谷公二著 東京書籍
「森の神の民俗誌」日本民俗資料集成21 谷川健一編 三一書房
「中沢新一×いとうせいこう 大飯原発『神の森』を歩く 」週刊現代 2012年7月14日号 講談社 所収