阿須賀神社:和歌山県新宮市阿須賀1-2-25


令和に改元した。崩御に伴う即位ではないので、平成元年がまだ記憶に新しい身としては、なんだか調子が狂う。三十年前は正月明け早々、昭和天皇の下血が報じられ、なにか不穏な空気が世の中を支配していた。そして、崩御から数日は銀座の百貨店のショーウィンドウはじめ、繁華街はすべて黒一色に染まったのだった。祝い事や宴会の類いは自粛していたことを覚えている。


性懲りもなくまた熊野を書く。とにかく大好きなところなのでご容赦願いたい。今回はいくつかある熊野縁起の中で、東征した神武天皇にまつわる聖地、阿須賀神社をとりあげたい。


阿須賀神社は新宮の街中にあるためか、このブログに綴ってきた多くの聖地のように、異様な風景に息を呑んだり、張りつめた空気に畏怖を覚えるというような場所ではない。一見、家の傍にある鎮守のようで、境内はとても穏やかな空気に包まれている。境内左手には歴史資料館があって、阿須賀神社背後の蓬莱山から出土した御正体はじめ、この地に因む種々が展示してある。資料館の前には弥生時代の竪穴式住居跡があったりしてなかなか面白い。


まずは、案内板の由緒を写しておこう。

熊野川の河口近くに位置し、「浅洲処(あすか)」を守護し、航海、延命、生産、発育の御霊力を持つと言われています。第五代孝昭天皇五十三年三月の創祀と伝わり、古い記録には熊野権現は、初め神倉山に降り、次に阿須賀の森に移ったと記されています。新宮が初めて書物に文字として登場したのは、熊野神邑でありますが、熊野神邑は当神社の古名であり、神威発祥の地として広く人々に敬われました。「中右記」「平家物語」にも当社への参詣記録が見えるなど熊野詣の隆盛に伴い当社も発展してきました。歴代の有力者達からも深い信仰を集め、元亨二年(1322年)には阿須賀権現が東京北区の飛鳥山に勧請されるなど全国各地に当社の末社が見られます。

境内からは弥生〜古墳時代の住居跡や祭祀遺跡跡が発掘され、社殿背後の蓬莱山から大量の御正体が出土しており、熊野最古の原始信仰形態を実証し、権現発祥源として確認されました。

また蓬莱山には、中国の秦時代に始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて旅だった徐福の伝説が残っています。


村社の扱いで、社地は小さく、訪れる人も少ないが、実はすごいところなのだ。日本書紀には、神武天皇一行が海から最初に上陸した地は熊野神邑とあるが、おそらく蓬莱山を山当てとしてこの浅洲処、つまり浅瀬に舟を寄せたのだろう。

ところで阿須賀神社は、ゴトビキ岩で知られる神倉神社、熊野速玉大社といずれも指呼のうちにある。神倉神社が速玉大社の元宮とされることからすると、阿須賀神社はどのような位置づけになるのだろうか。


現在の阿須賀神社は熊野速玉大社の摂社で、祭神は事解男命と熊野三所権現だが、元々は王子であったという。王子を簡単にいえば、熊野三山の摂社のようなもので、熊野詣の旅人を導いた修験先達が辺路に散在する在地の信仰を組織化したものだ。九十九王子と称されるようになるのは中辺路が熊野詣の主要ルートになってからだが、大辺路にも数多くの王子があった。阿須賀神社もかつては五所王子の筆頭、若一王子を祀り、十二所権現の中で三所権現の次に位置づけられている。熊野の縁起において非常に重要な地なのである。

実際、熊野三山はいずれも若宮として若一王子を祀り、その本地仏は十一面観音、また天照大神と同神とされている。当社の拝殿向かって右側には阿須賀稲荷があるが、五来重氏によれば、ここが正に若一王子を祀ってある場所だという。「阿須賀の杜を蓬莱山とよんで、常世の神(夷神、少彦名神、海神の子、神武の二皇兄)をまつったこととも関係がある。夷神は豊漁の神としてはイナリ神に変化することがあるが、阿須賀神社にはいま並宮として稲荷神社がある。並宮というのは本社と同格の社ということで、現在阿須賀神社の本社は三山とおなじ熊野三所権現を祀るので、かつての阿須賀社の本社(王子社)が、稲荷神社となって横に移されたものだろう」。なるほど。余談だが、ここに引用した論考が載る本はすこぶる面白い。関心のある方は文末を参照されたい。



僕は研究者ではないので憶測の域を出ないが、阿須賀の地に弥生時代の遺跡があることからすると、ここは熊野三山が奉斎されるより遥か以前にあった原始海洋民の信仰を下敷きとした聖地なのかもしれない。そして、社殿背後の蓬莱山は、標高50mに満たない小山ながらも神奈備として、或いは禁足の杜として崇敬されていたのではないかと思うのだ。だとすれば、神倉神社に同じく、或いは速玉大社の元宮という見方も出来るのではないだろうか。


さて、境内をうろうろしてみる。社務所の横に「梛の苗300円」と貼り紙があるが、肝心の苗がない。あたりを伺っていると神職が声を掛けてきた。苗は社務所の前に無造作に置いてあり、代金を渡すと「下げるものがいるでしょ。袋持ってくるから待ってて」と社務所の中に入っていった。どうやら宮司らしい。ずいぶんと気さくで飄々とした感じだ。


戻ってくると「時間ある?」と聞く。「五分で一生の想い出になる経験をさせてあげる」という。いぶかしげな面持ちでいると「これ」と篠笛を取り出した。「全国の神社の宮司でちゃんと篠笛を吹けるのは俺くらいじゃないかな。東京の渋谷イメージフォーラムに呼ばれて吹きに行ったこともあるんだ」と宣う。面白そうなのでお願いすることにした。


拝殿の中に入り、椅子を出す。参拝中のご夫婦から「何が始まるんですか?」と問われたので「奉納の篠笛を吹いていただけるそうです。ご一緒にどうですか」と誘ってみた。結局、僕と二組の参拝客で奉納の演奏を聴くことに。拝礼の後、宮司はひとしきり口上を述べると、「『阿須賀』と『熊野古道』の二曲あるけど、どっちがいい?」と尋ねるので、「阿須賀」をお願いする。篠笛を構え、ひと呼吸入れて演奏をはじめる。桜咲き乱れる春の朝。澄んだ篠笛の音色が朗朗と響きわたる。雅楽とは異なり、オリジナルの楽曲である。神妙とは異なる、なんとも不思議な心持ちになった。


帰り際に宮司がまた声を掛けてきた。「梛には雌雄があるんだ。育ってみないとわからないんだけど。また来ることがあったらぜひ育った梛の写真を見せてね」。 常識的な神職のイメージとはおよそかけ離れた宮司だったが、勿体ぶるよりもこの方がずっとよい。阿須賀神社は平成28年(2016年)に世界遺産に追加登録された。サービス精神旺盛な宮司だけに、もっと参拝客を増やしてほしいものだ。


(2019年3月29日)


参考

「遊行と巡礼」五来重著 角川選書(平成元年)

「日本書紀<1>」 坂本太郎・井上光貞・家永三郎著 岩波文庫