NHK総合の「ブラタモリ」は、二週連続で熊野を扱った。一週目は熊野古道大門坂、十一文関跡、飛瀧神社、熊野那智大社(八咫烏の石、護摩)、青岸渡寺(三重の塔、神仏習合、熊野勧心十界曼荼羅)、山伏(熊野修験)、補陀洛山寺(渡海船)。二週目は橋杭岩、熊野カルデラ、川湯温泉、湯の峰温泉(つぼ湯)、熊野本宮大社、大斎原だった。速玉大社はさぞかし不満だろうなぁ。取材はしたものの、尺に収まらずカットされた可能性もある。大斎原の成り立ちで締め括ったのは慧眼だが、45分×2週、90分で熊野を語ろうとする事自体にそもそも無理がある。熊野にはここで紹介する矢倉神社はじめ、まだまだ多様な見所があるのだ。
さて、滝の拝は古座川の支流の小川にある。急流が岩床を削ってできた滝と甌穴で、やはり熊野の地形の面白さを物語る場所だ。甌穴は日本各所にあり、宮崎県都城市の関之尾などに比べるとスケールは小さいものの、急流に侵食された山間の風景は趣がある。
川沿いの金比羅を祀った祠の脇に古びた案内板が立っている。「滝の拝太郎」という伝説を伝えるので紹介しておこう。
「大昔 沛太郎が 大小のくぼみを岩に九百九十掘りました 千壷目に深い壷を掘りに這入ったきり 出てこなかったそうです 滝の沛の人達は遺言通りの五輪の塔を建てました 塔のひな型を彫りつけた面を 下側にした岩が川底に沈んでいます」
こういう話が伝わるところに熊野らしさがあるように思うのだが、いかがだろうか。
さて、滝の拝を後にして目指すのは矢倉神社だ。熊野には、紀伊続風土記に矢倉明神社と記載のある矢倉神社、若しくは高倉神社と称する社が数多あるが、それらの多くには社殿がない。辛うじて石組みや石灯籠があって、樹木を祀ったり、石を祀ったりしている。地域の信仰を象徴する場で、広域から参拝者が訪れるところではない。僕が行ったところも社殿はおろか鳥居すらないところで、その場所さえなかなかわからなかった。だが、ほとんどの場所はいまも丁重に祀られていて、そこでは明らかな神の気配を感じることができる。
滝の拝の矢倉神社は、小川沿いを少し入ったところにある。誰かがグーグルマップにプロットしていて、道なき場所に矢倉神社とあるのだが、その手前に滝の拝 染工房とあったのでここを目指すことにした。道の駅滝の拝からは1kmほど。川沿いから細い道を左に入ると、もう染工房の軒先だ。工房というよりも瀟洒な個人宅。芝の敷かれた駐車場らしき場所に車を停めさせてもらう。
人の気配がある。当家のご主人だろう。矢倉神社の場所を尋ねると懇切丁寧に教えていただいた。工房の前を過ぎて右の杜に入ってしばらく行く。途中に石仏があるという。期待に胸を膨らませて森の中に入って行ったのはよいが、行き過ぎてしまい、ずっと先の墓地まで歩いていってしまった。戻ってみると、件の矢倉神社はお宅のすぐ裏にあった。
鬱蒼といってよい森の中に神は坐していた。低い石段の先に、平石を手積みした石壇らしきものがあり、石灯籠が一基立つ。そこにイチイガシの巨木が三本寄り添う。他には何もない。このイチイガシが信仰の対象になるのだろうか。僕はいつも沖縄の御嶽を引き合いに出すのだが、聖地はその聖性が高ければ高いほど、自然物以外の余分なものが一切ないのだ。この空間もまったく同じで、身震いするくらいの、透き通った空気が我が身を包む。このようなところに、二拝二拍手一拝はおよそ似合わない。手を合わせて祈るだけでよい。祈りの対象はただそこにある自然、イチイガシの老木だ。ご利益を求めるというものではないだろう。それは寧ろこの場を冒瀆するに近い行為というものではないか。
染工房のお宅のご主人は磯田さんという。大阪の勤務先を定年退職して、奥様と当地に移住したそうだ。もう二十年以上になるという。齢八十を超えても矍鑠としていらっしゃる。染物は奥様のご趣味が嵩じたものらしい。当日も庭で染物を干しておられた。お会いした時に、当地の矢倉神社を紹介した本があると仰り、帰りに寄ってくださいと言われたのでお言葉に甘えた。玄関先のテラスのテーブルにその本を出してくれたのが「祈りの原風景ー熊野の無社殿神社と自然信仰」だ。元朝日新聞の論説副主幹、桐村英一郎氏が熊野に移住し、矢倉神社を踏査した本で、僕は訪れる前にこの本を読んでいた。磯田さんは、ご自宅裏の矢倉神社を祀る心性は縄文のものではないか、という。僕もその意見に同意する。そして「時間があるなら」と、ご自分で焙煎した豆をひいたコーヒーをボーンチャイナの器で振舞っていただいた。とても香り高いコーヒーで、美味しくいただく。地元の旅館「牡丹荘」や道の駅に焙煎したコーヒーを卸しているそうだ。そのコーヒーには「楽しい時に飲むコーヒー」「落ち込んだ時に飲むコーヒー」「音楽を聴くときに飲むコーヒー」「考えるひとが飲むコーヒー」と、ブレンドによって名前がつけてあるそうだ。
裏の矢倉神社はずっと隣のおばあさんが世話をしていたが、高齢でやらなくなったそうで、最近はご夫婦で掃除をするという。「たまにですがね。それから、ここは人里離れた田舎ですが、満天の星が見えるんですよ」と微笑んだ。定年して移住するなら熊野にしようか、と思った。神々のお世話をしながらの余生も悪くはないだろう。不便さを補ってあまりある心の豊かさがあるのではなかろうか。
(2019年3月28日)
参考
「祈りの原風景 熊野の無社殿神社と自然信仰」桐村英一郎著 森話社 2016年
「忘れられた熊野ー熊野大辺路筋に残る矢倉神社の群落」宮本誼一著 「古美術 第42号」昭和48年 所収