備崎経塚:和歌山県田辺市本宮町本宮
真名井社:和歌山県田辺市本宮町本宮
ちちさま:和歌山県田辺市本宮町本宮1373-1
熊野川を挟んだ大斎原の対岸の山々の尾根には、大峯奥駈道が通っている。そして、ちょうど大斎原の向かい側にあたる山腹に磐座がある。備崎経塚群と呼ばれる史跡だが、ここに磐座があると知ったのは「み熊野ねっと」だった。いきなり脱線するが、このサイトの管理人はハンドルネーム「てつ」さん、本名を大竹哲夫さんという。東京生まれ、神奈川育ちで、34歳で熊野に移住し、爾来二十年以上に亙って熊野の魅力を複数のサイトで紹介し続けている。2011年に南方熊楠顕彰会事業部委員、2014年には熊野本宮大社氏子総代に就任されている。大したものである。昨年、日比谷図書文化会館で行われた南方熊楠のフォーラムでもトークセッションに参加されていた。僕は熊野に行く時の下調べでこのサイトにはたいへんお世話になっているので、この場を借りて御礼申し上げておく。
備崎経塚群には、本宮の前から新宮方面に向かって道をしばらく進み、左手に見える備崎橋を渡る。橋の袂には大峯奥駈道の案内板が立つ。熊野川岸に舗装された小道があるので、来た方とは逆、大斎原の方に向かって川沿いを歩いて行く。車なら橋の右側に産廃処理の置き場だった広い空き地があるので、ここに停めておこう。登山道に入るとそれなりの山道が続くが、目的地まではそうかからない。すぐに備崎経塚群の案内板の立つ場所に至る筈だ。
この経塚遺跡は1990年、和歌山県教育委員会によって調査、報告され、2001年には大谷女子大学により、さらなる発掘調査が行われた。その際、経塚の遺物・遺構だけでなく、磐座信仰に関連すると見られる巨石の分布も見られたという。経塚にはあまり食指が動かないが、磐座は別だ。案内板からさらに登っていくと、山道の左側に巨石が散在しているのが樹叢越しに見える。もちろん注連縄などかかっている筈もなく、磐座を求めて道を外れる。巨石の集中が認められる。ほぼ直感的に磐座だとわかる。石の結構をいろいろな角度から眺めてみて、あらためて確信する。
「み熊野ねっと」てつ氏はこう記す。「熊野の縁起譚『熊野の本地』では、熊野神を発見した場所を『曾那恵(そなえ)』としているので、この磐座群が熊野権現垂迹の地と見なされていたのかもしれません」。「神道集」所収の「熊野権現の事」にも同様の説話が見える。手負いの猪を追う猟師が八咫烏に先導されて先を行くと、八咫烏はやがて金色になり、三枚の鏡に姿を変えて宙に浮かび、やがて権現として来臨するというファンタジーなのだが、この地が正に「曾那恵」なのである。三枚の鏡とはアダムスキー型円盤で、好事家は熊野権現を宇宙人というかもしれない。それはともかく、大斎原とこの地の関係をどう考えるべきか、“そなえ”という地名にはそもそもどのような意味があるのかなど、疑問符が頭の中をぐるぐる回り始める。
さて、来た道を戻り、また備崎橋を渡って真名井社へ。本宮の末社であり、すべての神事はここに湧く水が使われるという。案内板には、御祭神、天村雲命。例祭日、四月十三日。毎年、正月七日の八咫烏神事に、新年初水を真名井者より献する。四月十三日〜十五日の例大祭の折にはここで稚児八撥が行われる、とある。ご承知のとおり、真名井、或いはこの名のつく神社は、出雲、日向、高千穂、宗像沖の大島など日本各地にあるが、いずれも記紀神話に基づくものだ。あらためて神話を引くまでもないが、水は人間にとってもっとも大切なものであり、たとえば縄文、弥生遺跡の傍には必ずと言っていいほど川があるし、神社も同様である。ただ本宮の場合、旧社地大斎原は河川に囲まれた砂州にあったわけで、わざわざ真名井社の水を汲んできて神事を行うには、それなりの意味があったのだろうと思う。ひょっとしたら、川を流れる水と地底から湧く水は、同じ水であってもその意味はまったく異なったのではないか。たしかに流れていくものと湧いてくるものは違う。僕は、後者は生命の誕生に関わるとされたのではないかと思う。折口信夫説くところの「すで水」、即ち"よみがえり"の水である。
この真名井は涸れてはいないのだろうが、こんこんと水が湧いている様子はない。ただ、ここが古来より非常に大切にされている場であることは井戸の石組みの苔、周りに巡らされた注連縄を見るとよくわかる。真名井社の道を挟んだ向かい側には小川が流れている。石段がついていたので下ってみるとそこには石祠があった。帰ってから調べてみると、紀伊続風土記の本宮村、真名井の条に「井の辺りに水神の石段がある」とされていたので、水神を祀るのだろう。
もうひとつそうした場所を紹介して本稿を終わることにしよう。真名井社から歩くと片道30分くらいと、かなり距離があるので車があればその方がよいかもしれない。音無川沿いに上っていくと、左側に「乳子大師(ちちさま)」と記された棒杭の案内標識が立っている。山に入る細い道があり、100m程登って谷の方に下りる。道からは見えないので注意しよう。下りてみると石垣が設けられており、二基の石灯籠と石仏がある。その上に目を凝らすと岩壁にぷっくりと乳房様の丸い石が突き出している。なんとも微笑ましい姿だ。
自然石とのことだが、こんなものがどのように出来るのか不思議でならない。紀伊続風土記では「ちごら石」とされ、乳の出ない女性が祈願すると出るようになるとある。先の水神もそうだが、熊野にはこうした民衆の祈りの場が各所にある。熊野三山の荘厳な社殿もよいが、こうした水辺、山辺にひっそりと祀られている神仏の方が、昔からそこに暮らす人々の心根を象徴しているようで、熊野らしい。僕は思わず嬉しくなってしまうのだ。
(2019年3月29日〜30日、2018年3月31日)
参考
み熊野ねっとhttp://www.mikumano.net/index.html
「神道集」貴志正造 訳 東洋文庫94 平凡社
「古代研究Ⅰ−祭りの発生」折口信夫 著 中公クラシックス19 中央公論新社