アマミチュー:沖縄県うるま市勝連比嘉

シルミチュー:沖縄県うるま市勝連比嘉1606-33


浜比嘉島は、沖縄の中東部に位置する人口500人の離島だ。離島とはいえ、伊計島まで延びる海中道路と橋でつながっており、那覇市内からだと車で小一時間も走れば到着する。この島には友人家族が住んでいて、貝殻を加工したアーティスティックなアクセサリーを制作、販売している。これまでに数度遊びに行っているが、この島は「神の島」とよばれるだけあって、島内は聖地だらけだ。友人宅の周辺にも拝所や御嶽などが点在する。琉球弧の島々は数多く訪れたが、神々の気配をもっとも濃密に感じる島のひとつだ。


琉球開闢神話が伝わる聖地として知られる場所には、久高島や辺戸岬に近いアシムイ(安須杜)があるが、この神話伝承は、北は奄美群島まで琉球弧全体に広がっている。琉球王国の正史とされる「中山世鑑」冒頭の開闢神話は、記紀の国生み神話に類似する。即ち、天帝(日の大神、太陽神)の命により、アマミキヨ、シネリキヨの二柱の神が土地を造成し、これが島となり、続いて琉球開闢七御嶽をつくり、島に人間を放ったというものだ。アマミキヨ・シネリキヨは、イザナミ・イザナギに対応するといえる。ここ浜比嘉島には、琉球開闢の女神、アマミキヨの墓所とされるアマミチュー、そして男神シネリキヨと共に住んだとされる洞窟、シルミチューがある。


アマミチュー、シルミチューは共に島の南、それぞれ比嘉、兼久の集落にある。島内のどこからでも徒歩で行くことができるので、僕は宿泊したホテルからジョギングがてら向かった。アマミチューまでは徒歩五分。そこからシルミチューまでも二十分とかからない。



アマミチューの墓は、島の東岸を走る道路沿い、アマンジと呼ばれる島から離れた岩礁の上にある。アマンジとは、アマミ地のことだろう。昔は干潮時でなければ渡れなかったようだが、いまは道を通してある。陸から離れた岩山、その先には波に削り取られたキノコのような奇岩が見える。これだけでも聖地の条件を満たしている。


かつては墓の入り口に石を積み廻しただけだったようだが、明治二十年頃、比嘉の村持ちで切石により形を整え、大正初期にはセメント塗りに改めたという。体裁を施した亀甲墓様の設えで、入り口は四角い石で塞いである。少し高い場所にあるためか、ある種の厳かさを湛えており、その場に身を置くだけで墓の中から見られているような心持ちになる。ここにはアマミチュー、シルミチューの男女二神の他、いろいろな神が葬られているという。もとは、墓の中に人骨が見えたそうだ。


中にアマミチューが眠るかどうかはさておき、少なくとも高い霊性を帯びた者たちの墓所であることは間違いなさそうだ。すぐ近くの森の中にある「ノロ墓」はよく似た様相を呈している。さらにこのノロ墓から少し上ったところに「按司の墓」と称される洞窟がある。按司は間切(行政区分)を治める豪族の長であり、これに並ぶのであれば、位階の高いノロのものだろう。をなり神信仰に基づくなら、按司の妻、或いは姉妹であったかもしれない。アマミチューに葬られた者は、さらに位階の高いノロであった可能性もある。おそらくこれらはいずれも崖の中腹にある洞窟を風葬の場としたもので、洗骨が行われるようになってからは、亡骸の肉が朽ちるまでの幾年の間、ここに放擲されていたのではないか。按司の墓とされる奥深い洞窟には、小振りの石の龕(棺)らしきものが隅にひっそりと置かれている。琉球の信仰、祖神観念の原点を見た気がした。

ノロ墓
按司の墓とされる洞窟
按司の墓の中にある龕

さて、次はシルミチューだ。男神の名がついているが、ここは男女神が初めて住んだとされる聖地で、やはり崖の中腹にある洞窟である。アマミチューからは島を横切り、東南の海岸伝いに森の中につくられた参道を行く。シーサイドガーデン浜比嘉の入り口を右手に見た先には鳥居が立っており、その先に石段が設えてある。これを上っていく。鬱蒼とした樹叢は正に南方の森である。樹々の濃密な息吹、森に住む生き物の息遣い、すぐそばにある海はさんざめく。噴き出す汗を拭いながら二の鳥居をくぐると平場があり、右側に洞窟がある。シルミチューだ。ここも大正期に整備されたとのことで、入り口には鉄柵と扉がある。



中を覗くと縄文から弥生期の海蝕洞穴の遺跡のようで、ある程度の広さがあり、たしかに人が住んでいたことを窺わせる。洞窟の中は暗くてよく見えないが、稲作の跡と伝わる平たい岩があり、ここに水が溜まっているらしい。洞内の鍾乳石から滴り落ちる水滴の量で、一年間の稲作の豊凶が占われるという。アマミチューは初め津賢島に上陸したが、水が乏しいので浜比嘉島に渡ってきたと伝えられる。いずれもアマミク神と稲作との深いかかわりを示唆する伝承だ。また女陰の形をした鍾乳石があり、子どものいない女性が祈願すると、かならず子宝に恵まれるという。


現地に立つ案内板には、毎年、旧正月の年頭拝みには、比嘉区自治会が中心になって、比嘉のノロと旧家の有志が豊穣、無病息災、子孫繁栄祈願し、子どもたちが踊りを奉納するとあった。アマミクへの信仰はいまも生きているのだ。


島を離れる前に、友人にアマミチューが上陸したとされる場所に案内してもらった。島の人々だけが知るところなので敢えて場所は秘すが、晩夏の午後、神々がやってきた東方の海には大きな虹がかかっていた。


(2016年8月24日)


参考

1. 「沖縄の祖神アマミク」外間守善著 築地書館 1990年

2. 「日本の神々 神社と聖地 第13巻 南西諸島」谷川健一編 白水社 2000年