黄泉平坂:島根県松江市東出雲町揖屋2407
猪目洞窟:島根県出雲市猪目町1338
「最後にその妹伊邪那美命、身自ずから追ひ来りき。ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置き、各対ひ立ちて事戸を度す時、伊邪那美命言さく、「愛しき我がなせの命かくせば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」とまおしき。ここに伊邪那岐命詔り給はく、「愛しき我が汝妹の命、汝然せば、吾一日に千五百の産屋立てむ」とのりたまひき。是をもちて一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり。かれ、その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ。また云はく、その追ひしきしをもちて、道敷大神と号くといふ。またその黄泉の坂に塞りし石は、道反之大神と号け、また黄泉戸に塞ります大神とも謂ふ。かれ、その謂はゆる黄泉比良坂は、今出雲国の伊賦夜坂と謂ふ」
お馴染みの古事記の黄泉国のくだりだが、それにしても凄まじい。夫婦、恋人をはじめ、凡そ男女の関係というものは、些細な事でこうなってしまう。夫は妻への想いを断ち切れず、黄泉の国を訪れ、禁忌を冒して妻の屍を見てしまう。ほんの出来心みたいなものだ。だが、屍を見られた妻は「恥をかかされた」と激昂し、黄泉国のあらゆる軍勢を動員して、世の果てまで夫を執拗に追い掛けるのだ。挙句の果てに、巨石を挟んで離別の口上を互いに申し立てる。売り言葉に買い言葉だ。男と女は、物事の見方や、受け止め方がそもそも違う。うまくいっているとしたら、それはたまたまのことで、すれ違いの種は既に日常の関係の中に潜んでいるのだ。
閑話休題、出雲国の伊賦夜坂とされた伝承の地に行ってみた。訪れたのは陽が短くなりはじめた晩夏の夕方。観光地として駐車場、案内板などきちんと整備してあるが、あたりに人気はなく、うらさびしい空気が場を包む。駐車場を回り込むと少し小高くなっており、小山の体を成している。道がある。左に行くと二本の石柱の間に〆縄が掛かり、その奥に磐境がある。右に行くと森の中に下る道が続く。磐境の先が此岸、手前が彼岸だ。よく弔辞などで「幽明境を異にする」と云う文句を使うが、それぞれの世界を分かち、隔てる境界域として、この場が見立てられているのがわかる。その見立てはさまざまな意味で巧妙であり、人によっては畏れを感じるかもしれない。
出雲にはまだ黄泉国への出入り口がある。十六島湾の西、県道23号線沿いに車を走らせると「猪目洞窟」の標識が立っている。
道路から少し下ったところに、ぽっかりと大きな口を開けている。漁船が置いてあり、隅に木造の小詞。魚見神社とある。一見する限りは漁村によくある風景である。
出雲国風土記の出雲郡宇賀の郷には、こう記されている。
「磯より西の方の窟戸、高さ広さ各々六尺許。窟の内に穴在り。人、入ることを得ず。深き浅きを知らず。夢に此の磯の窟の辺りに至らば必ず死ぬ。故、俗人、古より今に至るまで、黄泉の坂・黄泉の穴と号く」
夢に見たら必ず死ぬとは、これまた穏やかではない。数々の怪談も伝えられているという。
案内板を参照しよう。
「1948(昭和23)年に,漁船の船置場として利用するため入口の堆積土を取り除いた時に発見されたものです。凝灰岩の絶崖にできたこの洞窟は,東に向かって開口しており,幅30m,奥行き30mあります。この遺跡は,縄文時代中期の土器片も少量採集されていますが,弥生時代以降,古墳時代後期まで(2300~1400年前)の埋葬と生活の遺跡としては,人骨が13体以上見つかっており,特に注目されるものとしては,南海産のゴホウラ製貝輪をはめた弥生時代の人骨や,舟材を使った木棺墓に葬られた古墳時代の人骨,稲籾入りの須恵器を副葬した人骨などがあります。(後略)」2008(平成20)年3月 出雲市・出雲市教育委員会
はじめ風葬の場を思ったが、遺物から見て舟葬だという。舟葬とは、死体を舟に乗せ川や海に流す,あるいは舟形の棺に入れて埋葬する習俗だが、この地で行われたのは後者だろう。関東でも房総半島や三浦半島の南端にある海蝕洞窟で、同様の葬法を行っていたことが確認されている。館山市の大寺山洞窟遺跡では、12基以上の舟棺が見つかっており、実用の丸木舟を赤く彩色して棺としていた。棺は土中には埋葬されず、洞窟の側壁に沿ってそのまま安置し、風葬されていたらしい。床に棺を置くスペースがなくなると、棺を積み上げていったと推定されている。これら洞窟は縄文時代には生活の場であり、弥生時代から古墳時代にかけて葬地となり、後に祭祀の場へと変遷したようだ。また、奄美大島宇検湾の伊里離れ(枝手久島)という無人島では,夜中にひそかに死者を舟で運び、葬ったという。猪目洞窟の前には今は道路が通るが、嘗ては山を越えなければこの地に至ることは叶わなかった筈で、あるいは丸木舟で遺体を運び、そのまま葬ったということもあったのではないだろうか。
黄泉国は他界である。黄泉平坂も、死を想起させる何かがなければ、人はそう認識しない。観念上の話であり、どちらが黄泉平坂かという議論は意味がないが、古の人々が他界を強く意識した場所は、やはり葬地であった猪目洞窟だと思うのだ。
(2017年9月9日、9月10日)
参考
「古事記 上」講談社学術文庫
「出雲国風土記」講談社学術文庫
「古代出雲を歩く」平野芳英 著 岩波新書
「館山湾の洞窟遺跡−棺になった舟。黄泉の国への憧憬−」館山市立博物館 平成22年
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