柏原の野大神(大欅):滋賀県長浜市高月町柏原739

唐川の野大神(大杉):滋賀県長浜市高月町唐川554


野神(ノガミ)は、奈良、滋賀に多く、大阪、徳島などの一部にも見られる伝承的信仰だ。敬愛の意を込め「野神さん」と呼ばれている。祭祀や行事など地域によって異同はあるものの、概して樹木を祀っており、農業神とされている。荒神、山の神、田の神、森の神との類似点も多く、比較するとそれらの境界は曖昧だ。数少ない先行研究を参照しても輪郭が朧げでつかみどころがない。はっきりしていることは、村落に古くから祀られている巨樹が単独で存在し、形を変えながらも連綿と祭事が続いているということだけである。


野神の存在は「地霊の復権」(野本寛一著 岩波書店)という本で知った。滋賀の野神は、琵琶湖の湖北、湖東地域に多く分布している。このあたりの平野を車で走っていると、四辻や田畑の畔でよく巨樹に出会う。そこが正に野神だったりするのだが、僕が訪れたのも、余呉湖から長浜港に向かう途中、車中から「野大神」という社号標と大きな樹が目を惹き、思わず立ち寄ってみたのだった。


案内板によれば、樹齢推定三百年以上のケヤキで、幹周8.4m、樹高22m。町中の巨樹のためか、存在感にはただならないものがある。幹の瘤の隆起が威風を湛えている。真新しい御幣が奉じてあることからすると、地域の人々がいつも気にかけているのだろう。生活に深く根を下ろしている樹木なのだ。都市の道路沿いに植樹された樹木ではこうはならない。







この地は「高月」という字名だが、ケヤキの巨木が多く、古くは「高槻」であった。槻は、ケヤキの古名だ。大江匡房が月見の名所と歌を詠んだことから「槻」の字を「月」に改めたという。「近江なる 高月川の 底清し のどけき御代の 影ぞ映れり」「秋といえば 光をそえし 高月の 川瀬の浪も 清く澄むなり」(夫木和歌集所収)  さらに当地から1.4km、高月駅の近くには延喜式内社の神高槻神社があり、社伝は上代からの槻信仰、樹木を産土神とした事を物語る。

ここから北陸本線を挟んで北西に3km、農道の三叉路にも野大神が立つ。農地の中の老いた一本杉は、一帯を見守る鎮守さながらに天に向かって枝を伸ばしている。幹周8.7m、樹高24m、樹齢は約四百年だ。樹勢に衰えがあるとはいえ、未だ威厳を保つが、古社の境内に聳え立つ神木とは異なり、どこかの村の好々爺のような温かみを感じさせる。洪水に悩まされた村人が洪水を防ぐ祈願に観音像を沈めた時、その目印としてこの樹を植えたと伝えられている。(滋賀県緑化推進会)





このあたりで行われる野神祭りは、八月十六日、十七日に行われる。集落によって祭のあり方は少しずつ異なるようで、当屋を先頭にした行列でシャギリ(鉦太鼓の囃子)を奏しながらの虫送り、蛇やムカデの描かれた絵札の奉納、子供相撲の奉納など様々である。米の収穫を前にした予祝とみることが出来るが、一様な伝承習俗ではないらしい。野本寛一氏は前掲の著書でこう述べる。

「人が農耕を営むためには、野・原野を開拓しなければならない。原野には、地霊が坐し、様々な生き物が生きていた。人は開拓の過程で、野神、野神の領く様々な諸物・諸霊と確執・葛藤をくり返し、拮抗し、時にはそれらを抑圧してきたのであった。(中略)これらの害毒生物は、開発の鍬・鋤・鎌などの犠牲になった生き物の象徴だと見ることもできるはずだ。居住と農の安全・遂行を確保するためには、犠牲になった生き物の霊や、抑圧された地霊を祀り鎮めなければならないのである。野神祭りの本質はここにあるのではなかろうか」


さて、唐川の大杉だが、今年9月4日の台風で根こそぎ倒壊したらしい。野神祭りはどうなっていくのだろうか。


(2017年7月9日)