宇佐神宮:大分県宇佐市南宇佐2859
大元神社:大分県杵築市山香町大字向野
日本で一番多く祀られている神は八幡神 ≒ 応神天皇とされている。その数はカウント方法によって異なるが、最も多いもので7,817社ある。直感的には稲荷神の方が多いように思えるが、本稿の趣旨ではないので、ここでは言及しない。その八幡信仰が興ったのが宇佐神宮である。エピソードには事欠かない。渡来神との関係、神仏習合と神宮寺の設置、薩摩隼人の征討と放生会、東大寺の盧舎那仏建立に際する渡御、道鏡の天皇即位の神託と左遷、神輿や神像の発祥…近年では宮司の人事を巡る神社本庁との確執など枚挙に暇がない。
それにしても、気持ちのよい神社だ。広大な庭園様の境内を散策すると、参拝客が多い割には落ち着いており、静謐さを湛えている。さまざまな神仏、信仰が八幡神というシンボルに昇華、結晶した時間の重みだろうか。見方によっては洗練を極めた場所であり、余分なものを一切感じない。こうした趣が武家に信仰された所以の一つではないかと思いを巡らせた。
宇佐における原初の信仰は、当地の豪族、宇佐氏による神体山信仰だったとされている。当初は、宇佐神宮の南にある妻垣山(241m)を、後に東南の御許山(647m)を拝するようになった。御許山の山頂にある大元神社は奥宮にあたり、今も宇佐神宮上宮の本殿前には、遥拝所が設けられている。
奥宮と聞いて訪れない訳には行かない。これまでの探訪でも、その神社の本質を表していたのは概して奥宮だった。対する本宮は、整えられた設えの中に立派な社殿はあるものの、カミの気配が感じられる所は殆どなかったのである。宗教人類学者の植島啓司氏は、聖地には二通りあるという。神の臨在を感じさせる場所と、神に対して祈りを捧げる場所だ。この分類に従えば、僕らが一般に参拝する神社は、その殆どが後者なのだ。
というわけで、御許山に車を走らせる。山頂へのアクセスは、車でも可能とのことだったが、未舗装の林道を行くと聞き、難儀するのが嫌なので中腹に車を停めて登山することにした。いくつかルートがあるのだが、最短コースの正覚寺登山口から登る。健脚なら30分で登れるだろう。途中、車道に出てそのまま歩いて行くと石畳の参道。すぐに大元神社だ。
さすがに参拝客は少ない。気軽に来られるところではないのだ。僕の他にはカメラを提げたおじさん一人と女性ハイカーの二人連れ。宇佐神宮とは打って変わり、この場の空気は険しく、重たい。聖地然とした空気に包まれている。祭神は宇佐神宮の二之御殿に祀られている比売大神(宗像三女神)。拝殿の中に入って、宇佐神宮の拝礼に倣い、二拝四拍手一拝。拝殿の裏に接した玉垣のすぐ先に小さな石の鳥居があるが、有刺鉄線が三重にぐるぐると巻いてある。これは効く。不埒な輩は平伏すだろう。厳重な禁足地だ。印象がさらに険しいものになる。
また、八幡宇佐宮御託宣集の巻十四にある「奥宮御許山絵図」を見ると、この巨石の他にも山中には磐座が点在しており、僧坊のような建物が見える。御許山の麓には正覚寺という地名も残ることから、山岳修験の行場としても機能していたことが伺われる。
大元神社の真向かいには、大元八坂神社がある。古い鳥居の先は、樹々が生い茂り真っ暗である。沖縄の御嶽にそっくりで正直にいって怖い。下手に足を踏み入れると祟られるのではないかとまで思わせる。由緒等は一切わからないが、八坂神社というからには祭神はスサノヲだろう。アマテラスとスサノヲの誓約で生まれたのが宗像三女神、比売大神だ。父君に見守ってもらおうということなのだろうか。
(2015年6月13日)