立石神社:島根県出雲市坂浦町1503


出雲一帯は今に続く巨石信仰の場が非常に多い。巨石ハンターを自称するフォトグラファー須田郡司氏

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先年移住したのも出雲だ。当地の磐座マップをvol.2まで作ってしまうくらいなので、その層の厚さは知れよう。数多くの神社で石が祀られており、社殿はなく巨石のみが祀られているところも多い。立石神社も正にそうした空間であり、未だに祭祀が続いているという。但し、百年近く前には社殿があったらしく、現地調査では礎石が確認されている。

とにかく見惚れてしまうほど見事な御神体なのだが、厳しさはあまり感じられない。ある意味で剽軽、ヒューマンな感もあるのだ。永らくこの地の人々に寄り添ってきたからだろうか。地元では「たていわさん」と親しみを込めて呼ばれているらしいが、出雲の石神の多くは生活の中に溶け込んでいる。通りかかれば衒いなく手を合わせることが日常なのだ。出雲にはどこにでもカミがいる。羨ましい限りだ。


さて、僕がこれ以上下手な解説をするよりも、現地の案内板を参照してもらう方が確かだろう。以下に案内文を引用する。

    ここ立石神社は、大国主命の孫神多伎都比古命(たきつひこのみこと)を御祭神とし、社は無く三つの巨石からなっている。祀られた時代は不明だが雨乞いの神様として知られ、祈祷をしたご幣を持って背後の雲見峠まで行くと必ず雨が降ってきたと伝えられている。

 『出雲国風土記』(七三三年)には「阿遲須枳高日子命(あぢすきたかひこのみこと)の妃、天御梶日女命(あめのみかぢひめのみこと)、多宮村(たくむら)に來坐(きま)して、多伎都比古命を産み給ひき。(中略)謂はゆる石神は、即ち是れ多伎都比古命の御魂なり。旱(ひでり)に當ひて雨を乞ふ時は、必ず零(ふ)らしめたまふ。」とある。

 また『雲陽誌』(一七一七年)には山神「岩の高さ四丈、周二十間、三に分けてあり、いかなる故にや土人御所の立岩といひたてまつるなり。」と記されている。

 雪見峠を越すと、命がこの地へお越しになった時のものとされる牛馬の足跡が残っている。すぐ近くには産湯をつかわれた長なめらの滝(虹ヶ滝)があり、辺りには母子神を祀る祠や同じく宿努(すくぬ)神社がある。また雲見峠の峰続きには神名樋山(かんなびやま)の大船山があり、このあたり一帯が神話の舞台となっている。現在この地を立石(たていし)呼ぶが、周囲の庄部(しょうぶ)地区全体の半数が立石姓を名のっている。大正時代には拝殿もあったらしいが、いまは礎石が残っているだけである。かつては「八朔祭」だったが、昨今は九月第一日曜日に、庄部地区の氏子によってお祭りが行われている。

 平成二十四年には、出雲市の地域が誇る観光スポットとして認定を受け、同年には荒神谷博物館による測量調査が行われ、最大高さ十二m、最大幅二六mあることが明らかになった。

岩石の聖性は大きさや形状などそれ自体に負うところもあるが、場に赴くと、岩石のある環境に大きく左右されているように思う。たとえば、群馬大学医学部附属病院から100m西の広場にある岩神は、姿形こそ異様なのだが、街中にあることでその聖性を殆ど削がれてしまっている。今は岩神稲荷神社と称し、岩神の前に設えられた社殿にお参りする人はいるものの、岩神そのものに手を合わせる人は見当たらない。剥き出しの岩は単なるモノであり、それ以上でもそれ以下でもない。僕がこれまでに見てきた岩石祭祀の場も、その殆どは山の中か、海を望む場所にあり、さらには社殿を伴わない場合も多い。やはり、カミが依りつき、坐すところはどこでもよいと云うものではないのだ。
岩神稲荷神社の磐座

冒頭で触れた通り、出雲には石神が多数存在する。山陰中央新報社からは「石神さんを訪ねてー出雲の巨石信仰ー」なるガイドブックも出ている。出雲を訪れるなら、出雲大社や八重垣神社で縁結びを願うのもよいが、是非石神を訪れてほしい。


(2017年9月9日)