香取神宮 奥宮  千葉県香取市香取1697


奥宮と云えば、山麓の本宮に対し、山頂にある元宮を指す場合が多いが、この奥宮は香取神宮から旧参道を100mほど下ったところにある。だが、気楽に臨んでお参りすると、恐い目に遭うこともあるのでご注意を。ここには香取神宮の祭神、経津主の荒御魂が祀られている。荒御魂(あらみたま)は「カミ」の四つの性質(他に和魂(にぎみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま))のひとつを顕しており、勇猛さともに、天変地異、疫病、争い事などを司り、人に祟ることも間々あるようだ。こうした前提を知らずに訪れた人でも、この場所に近づくと否が応でも張りつめた空気を感じる筈だ。大勢の参拝客で賑わう香取神宮本社とは打って変わり、訪れる人はほとんどおらず、それが却ってこの場を特別な場にしている。周囲より少し高いところに祀ってあり、石段を数段上ると短い参道の奥に社殿が見えるが、実際よりかなり奥行を感じる。神が遠いのである。鎮守と違い、親しみやすさやあたたかさがまるでない。

瑞垣の扉は閉まっているのだが、社殿の内側から、睨めつけるような視線がこちらをじっと窺っているような気配がある。背筋がぴんと伸びるほどの緊張感がある一方で、ざわざわと胸騒ぎがするような感覚を覚える。厳粛さと云うより、不吉な険しさ。畏まって接しないと、本当に祟られそうな気さえするのだ。
因みに、私の知人の女性がご主人と奥宮に参拝して帰宅した後、ご主人が原因不明の高熱を出してしまい、寝ながら一晩中譫言を喋っていたという話を聞いた。家の外に連れ出し、身体に塩を撒いたところ、憑き物が落ちたのか熱は下がったとのことだったが、ご本人は譫言を喋っていた時のことをまったく覚えていなかったらしい。


僕には霊感というものがないのでよくわからないが、ナーバスな感性を持った人がこうした場所を訪れると時に精神状態がおかしくなることがある。これまでに訪れた聖地でも、似た感覚が生じた場所が幾つかある。たとえば、沖縄の御嶽や拝所にはそうしたところが多い。町中にある御嶽はそうでもないのだが、小さな離島の森の中に匿されているような御嶽は、森そのものに来る者を拒んでいるような空気が漂っており、興味本位で立ち入ることが躊躇われる。あくまで感覚の話なのだが、理由がわからないけれど足が進まないとか、身体が拒否するようならそこには近づかない方がよいだろう。


経津主神は稲佐浜で建御雷神とともに十束の剣を海に逆さに突き立て、大国主命に国譲りを迫った神だ。諸説あるが「剣」が神格化した神とされている。剣が持つモノとしての性質がこの神の荒御魂に投影されているものと思われる。

奥宮の手前には、元祖剣聖とも云うべき、飯篠長威斉家直(いいざさちょういさいいえなお1387年~1488年)の墓があり、こんな伝承が残っている。「ある日、家直の家人が香取神宮の神井で馬を洗っていたところ、人馬ともに突然死亡した。これを見た家直は、香取の神の不思議な力を感じ取り、香取神宮境内の梅木山不断所に千日籠もりの修行をし、ついに剣法の奥義を極めるに至ったのである。これが、天真正伝香取神道流のはじまりとされている」(千葉県教育委員会) 

因みに、前回の投稿で同じく経津主神を祀る鹿島の沼尾神社を紹介したが、剣聖塚原卜伝の墓は沼尾社から南西に3kmの場所にある。卜伝の家系は元々鹿島神宮の神官であり、塚原家に養子に行く前の本姓は「卜部」だった。卜部とは古代祭祀を担った氏族が名乗った姓だ。彼は家伝の鹿島古流に加えて、天真正伝香取神道流を修め、これをベースに鹿島新当流を開いた。剣神、経津主神との浅からぬ因縁を感じないだろうか。


(201527日)