潮岬は、西日本に台風が接近する際に波浪の状況がテレビ中継される場所としてお馴染みだ。当地は本州最南端の地であり、洋式灯台の走りが設置されている観光名所でもある。潮岬神社は元々ここにあったが、明治二年、灯台の建設により、現在の場所に遷座された。
さて、本題は潮岬神社ではない。近くにある高塚の森だ。磐座を中心とする森の中の祀りの場である。嘗ては禁足地だった。禁足地。なんという甘美な言葉の響きだろう。神職など限られた者しか入れない場所なのである。
潮岬神社に参拝した後、僕は駐車場の管理人に高塚の森の場所を尋ねた。「あ、この前の道を挟んで、すぐそこに電信柱が二本並んでるでしょ。向こう側の方に入口があるよ」と教えてくれた。あっけらかんとしたものだ。地元の人にとってはそんなものなのかも知れないが。
道らしきものは見当たらないが、教えられた通りに電信柱の脇を入り、腰まである草叢を掻き分けながら進んでいくと、やがて道らしくなってくる。樹相は南島のどこかを髣髴とさせる。田中一村の絵を想う。
そのまま道なりに歩いていくと少し開けた場所に出た。大小の石が散らばっている。いわゆる磐座然とはしていないが、樹々がこの場を囲むように結界をつくり、おもむくままに伸びた枝葉の間から光が差し込んでいる。神々しいとしか形容しようがない。よくこの様な場所が残されていたものだ。しばし、この場に佇み、深呼吸をする。自分の中の深いところで何かが頭を擡げている。
本稿を書くために資料をあたっていて、かなり正確にこの場をトレースした図を目にした。その図に拠れば、この磐座祭祀の場は、夏至の日の出入を結ぶ線上に位置していることがわかる。そして日の入りの場所にあるのは潮岬灯台。そう、嘗て潮岬神社が鎮座した場所なのだ。出所は「日本の神々-神社と聖地」だが「東アジアの古代文化」1981年夏号の対談「巨石信仰と太陽祭祀」に寄せられた図からの引用としている。原典が入手困難のため、孫引きになることをお断りしてご紹介したい。
「これによって、高塚の森の石組(磐座)は、太陽の祭祀に関係あることが証明できた。しかも、石列段のある位置が夏至に関連することもである。かくみると、冬至に関係する位置にも何かが存在しなければならないように考えられるが、現状では明らかでない。さらに、この巨石の石組がいつ頃なされたかについても、北岡なりの考えはあるが、安井先生は、慎重を期して今後の課題とされている」(前掲書P378~P340、図、文とも串本町文化財保護委員 北岡賢二氏による)
たとえば縄文遺跡にも夏至や冬至、春分や秋分を意識されたものが多々ある。秋田の大湯環状列石はその代表例だろう。
僕の中で頭を擡げた何かは、恐らく古代人が太陽の周期を、人間或いは万物の生々流転に擬え、畏れた何かと同じものではないか。
(2018年3月30日)
参考:「日本の神々-神社と聖地 第6巻伊勢・志摩・紀伊・伊賀」谷川健一編 白水社 2000年