水晶山神社:山形県東根市猪野沢

尾根を歩いている時だった。着信音がする。尻のポケットからスマホを出して画面を見ると、LINE経由、友人の女性からだ。応答したが切れてしまっていたので、こちらから掛け直す。が、出ない。すぐにリダイヤルすると出た。今仕事の打ち合わせ中なので、折り返しするとの由。なにかおかしい。じきにかかってきた彼女の第一声は、
「どうしたの?」
「え、いまあなた電話くれなかった?」
「してないよ」
「いや、着信あったからさ」
「してない、してない。だって仕事の打ち合わせ中だもの。ごめん、戻らなきゃならないんでいったん切るね。後でまた」
着信記録はちゃんと残っているのだ。からかわれたのだろうか。狐につままれた僕は、そのまま尾根を登り、やがて山頂に着いた。

水晶山神社は、山形の天童市内から車で約40分、水晶山(668m)の頂上にある神社だ。山の中腹にある六角堂手前の駐車場に車を停め、40分も登ると山頂の社殿に着く。役行者が1,300年前に開山したと伝えられるが、祭神は大物主神、大国御魂神とされている。しかし、この地でなぜ出雲の神なのか。現在は東根市側にあった大和神社と相殿となっているが、まさか大和は桜井の大神神社との関係はあるまい。行ってわかるのだが、明らかに神仏習合しており、祀られた祭神らしさはほとんど感じられず、山岳修験の色合いが濃密だ。
社殿の裏側に石段があり、これを登ると磐座の前に石祠。この磐座が蔵王権現とされ、奥宮とされている。磐座の裏に回ると三角点があり、ここから西側に山頂を回ると御室という行者が籠った穴があり、十一面観音に擬せられている。
この日は平日、しかも午後だったので他には登山者はおらず、麓近くで林業関係者と思われる軽自動車とすれ違っただけである。深閑とした山の中に一人でいるのはとても気持ちのよいものだが、ひとたび何かが起こると冷静さを失い、恐怖に転じる。遭難するのはこうした心理状況にある時なのだろう。

山の怪はこれまでにも幾度か経験している。高校生の時分に登った六月の丹沢。夕方雨が降り出して中腹でビバークしたのだが、雨は繁くなるばかりでそのままテント泊となった。携帯食で済ませ、早々にシュラフに入る。あれは夜八時過ぎだと思う。もう豪雨と言ってよい状況になっていた。そんなに早い時間にはなかなか眠れない。シュラフの中でまんじりともせずにいると、バチバチとテントに当たる雨音に混ざって、下から登山パーティーが歩いて来る音が聞こえるのだ。そんなわけはない、と思うのだが足音はどんどん大きくなってくる。そして、懐中電灯らしき光がテントを襲う。だが、人の声は一切しないのだ。ざくざくざくざくとテントの周りを複数の足音が回っている。僕らはシュラフの中で息を殺して縮こまり、彼らが行ってしまうのをひたすら待った。そしてその内に眠ってしまったのだった。翌朝、ビバークした場所から遠くはない山小屋の主人は言った。「あの辺で遭難事故があってね、最近同じような経験したって人が他にもいるんだ」
山にいると不思議な感覚に襲われることがある。ふとした拍子に異界に入ってしまう、と云えばわかるだろうか。それは一人でいる時に起こる。如何なる山だろうが、他の登山者やハイカーと行き合う時には殆ど起らない。そして、そこで起きたことは大概説明不可能なのだ。

(2017年9月17日、2015年9月25日)