深沢大石神社奥宮跡 山梨県甲州市深沢

 

あまり知られていないが、甲州は石に関する信仰が各所に広がっていて、磐座や巨石、怪石の類が大好物の僕には外せない場所である。甲州の石の民間信仰で代表的なものは丸石、道祖神だが、これは別の機会に触れることにして、今は訪れる人のいない、祀りの場の跡を紹介したい。


この奥宮へは三度目の正直でやっとたどり着いた。一度目はすぐ近くまで来ながらも、山へ入る道がわからず、日没を迎えたので断念。二度目は冬で前週の残雪が凍っており、スタッドレスタイヤでも危険を感じたので断念。三度目は先人のブログを参考にグーグルマップのストリートビューで確認し、万全を期して臨んだ。


里宮から県道を行き、車一台がやっと通れる幅の橋を渡って林道へ。ここから二㎞くらい上ると、左手に錆びた茶色の看板が見えてくる。「深沢の大ツガ」の紹介文が認められているが、周辺にそのような巨木は見当たらない。ここに車を停める。

少し戻ったところ、斜面にけもの道らしき道が僅かに認められる。一見して道があるようには見えない。しばらく登っていくと開けた場所に出る。そこから尾根伝いにさらに登っていくと、苔むした巨石に出くわす。ここが奥宮の入り口である。
どっしりと座る巨石のあたりを境に空気が変わる。そこかしこに巨石が居並び、その奥に例の大ツガが聳えている。山梨に二本ある天然記念物の大ツガの一本である。先の看板では樹高30m、目通り5.3m。根元近くで幹が二股に分かれているとされといたが、一本は落雷によるものか倒れている。その脇の巨石の下には小さな石祠が身を隠すように置かれていた。


この空間は、磐座と云うより磐境、大きな祭祀空間ということが肌で感じられるが、どのような祭祀が営まれていたのだろうか。礎石や柱穴のような遺構は見当たらない。嘗ては社殿があったのだろうか。さらに奥に入っていくと、清流が流れていて、このあたりは水源地であることがわかる。

里宮も紹介しておこう。県道の右手に参道へと続く道があり、奥宮に比べるとわかりやすい場所にある。深沢川を渡り、一の鳥居、二の鳥居をくぐってしばらく進むと流造の社殿がある。本殿裏には磐座があり、これが御神体と思われる。由緒を探るべく山梨県神社庁のホームページでこの神社を検索したが見つからない。山梨県神社誌にも由緒は不明とある。「甲斐国志所載の神社であるが、由緒不詳。県神社庁保管の明細帳に『古来此の地の鎮守として崇敬厚く、毎年の例祭には多数の氏子参集し、盛大な鎮火祭を斎行、境内には幕府より奉納された燈籠、石鳥居が有り、境内を流れる渓流を本殿より十数丁逆登る水源に奥宮がある。ここには二間四方高さ一間余りの巨石、二抱えの栂の大木があり、山水明媚な仙峡である』」と記されている。祭神は、記紀の岩戸隠れの神話に登場する伊斯許理度売(いしこりどめ)命(のみこと)。石の鋳型で鏡を鋳造することに精通した特別の女性の意であり、この神を祀るようになったのは後のことだと思う。出雲あたりに同じく、元々この地にあった巨石信仰が長じて磐境となり、後に里の方に社殿を構えるようになったと考えられる。

(2017618日)