猪群山ストーンサークル 大分県豊後高田市真玉町臼野


巷では縄文が一大ブームになりそうだ。デザイナーが副業で作り始めたフリーペーパー、編集者が土偶にハマって自らが著した数々の書籍、縄文にハマった人々を追いかけたドキュメンタリー映画上野の国立博物館ではいま縄文展が開催されているし、パリでも同様の催しが行われるようだ。そういう僕も三年ほど前から縄文にハマっている。きっかけは、ミシャグジだ。ミシャグジにはまだ分からないことが数多くある。その名称も信仰も多様、研究者の解釈も多様だ。そもそもどんな神かを説明しづらいのだが、記紀に登場する神々が出現する以前の地母神ということは間違いがないようだ。信仰圏は長野県諏訪地方中心に広がっており、樹木や石を依り代とし、樹木の下の小さな祠に祀られていることが多い。そして、その祠には大概、石棒が収められている(今井野菊ほかの踏査、研究に拠る)。石棒と云えば縄文時代の特産品の一つである。男根を模した磨製石器で、一般には祭祀等に使われた呪具とされている。時代によって異なるが、数cmの小さなものから2mを超えるものまで大きさは様々なものがある。前置きが長くなった。猪群山環状列石の中心部に斜め45度の角度で屹立しているのは、石棒ならぬ巨大な自然石のファルスなのだ。

猪群山は、国東半島の北西部にある標高458mの低山である。聖地探訪を始めて間もなく、山頂に聖地が多いという事実をよく理解していなかった頃の事で、登山の心得がほんの少しあったこともあり、嘗めてかかったのが間違いだった。登山ルートは二つあって、常盤コースから登る。出だしは緩斜面で軽快に進むが、 炭焼き窯跡を越えてしばらく行くと想定外の急坂が続く。樹木に結わえられた、道程を示すピンク色の紐を目印に進んでいても、幾つかのルートがあるのかひょいと逸脱してしまい、不安になって戻る。ところどころに巨石が出迎える。一つひとつが祀られている訳ではないが、修験者たちの道だと言うことは明らかだ。

山頂の手前でいったん眺望が開ける。もう汗だくである。ひと休みしてからまた登り始める。出雲の仏経山に似た、磐境のような巨石群がある。道が平坦になる。頂上はもう少しだ。

 頂上は二つあり、手前の南峰には東屋がある。ここを通り過ぎて尾根沿いをしばらく行くと看板があり、ここが北峰の頂上、目当てのストーンサークルである。結界の入り口か、陰陽石と呼ばれる巨石が二つ並んでおり、この間をくぐると直径3040mの開けた場所に出る。

右手に神体とされるファルス様の巨石。高さ4m以上はあろうか、樹々の葉に埋もれているので全容は分からないが、亀頭と思しき先端部には注連縄が巡らされている。明らかに陽石だ。周囲には他にも巨石が点在しているが、配置はランダムで、一見ではストーンサークルの様には見えない。そそり立つ神体のみが、異様な存在感を持って天を衝いている。山頂には珍しく、平坦且つかなりの広さがあるためか、円筒のような結界がそのまま天空に通じている、そんな印象を受ける。ここが祭祀の場であったことを身体の奥深いところで感じる。とにかく、すぽーんと突き抜けたおおらかさがあり、時折吹く風がとても気持ちよいのだ。

国東半島と云えば六郷満山。近くには、無動寺や富喜寺などの古刹がある。嘗ては女人禁制だったということを含め、多くの修験者が抖擻した行場の一つということは容易に想像がつく。だが、山中には寺、堂のほか、不動明王など仏教的なシンボルは何もない。たどり着くと、そこには広い空の下に、ただ巨石が散らばるだけなのである。

この地に仏教が根を下ろす遥か以前から、この山頂は祈りの場であった筈だ。ストーンサークルかどうかは別として、猪群山の神体石がファルスだとすれば、その意味は石棒が呪具として機能していた縄文時代に遡るだろう。石は人間の本性的な何かに根差した信仰をいまに物語り、そして示現するのだ。

(2014年6月14日)