丹倉神社:熊野市育生町赤倉
 
大丹倉という景勝地に向かって、乗用車がやっと通れるほどの細い林道を山肌にへばりつくようにして登っていく。一応舗装はされているものの、谷側にはガードレールがなく、タイヤが側溝に嵌ったりしやしないかと、ひやひやしながら進んでいく。熊野灘に面した花の窟から17km、40分程度とそう遠くはないのだが、道が道な上に民家も見当たらず、すいぶん人里離れたところに来たという感が強くなってくる。行き合う車もない。
そろそろ丹倉神社に着くかと思ったあたり、右手に注連縄を張った場所が見える。丹倉神社を訪れる人は、ここで水垢離をとると云う。僕には特段の願い事があるわけではないので、そのまま進むと、やがて左側に白い鳥居。丹倉神社の標識が立っている。

鳥居からすぐに急な石段が続く。下りていく。右側の木立の中に巨岩らしき塊がちらちらと姿を見せる。木洩れ日。鳥の囀り。どこかに水の音。磐座のあるロケーションとしてはありがちな場所だろうか。あの感覚。神体にお目にかかる前の、胸に小さな穴がたくさん開いて風が吹き込むような、期待と畏れが混ざり合った胸騒ぎを覚える。石段を下りきって右を向く。

唐突に姿を現す巨岩。礫岩のようだ。熊野が巨大な火山地帯だったということを思い出させる。ところどころにうっすらと苔が生している。注連縄が巡らされ、前には石の簡素な祭壇が設えてある。石灯籠や、脇に石祠はあるものの、目に入ってくるのは磐座それのみである。いや、磐座と言ってよいのだろうか。

磐座は神の依り代であり、神そのものではない。が、この巨石はそのものが神としか言いようのない趣がある。量り知ることの出来ない、底なしの深さを秘めているように感じるのだ。人智は遠く及ばない。熊野の地に多い無社殿の神社だが、縁起や由緒、由来など一切は不明だ。もちろん、巨岩に擬せられた祭神もいない。ここは間違いなく祈りの場ということはわかるのだが、祝詞のような祈りはまったく不似合いに思う。

丹倉神社の先、大丹倉には、熊野天狗鍛冶発祥地と呼ばれる史跡がある。近藤兵衛という中世の武士の屋敷跡だが、彼は鍛冶を職とすると共に修験者であったとされている。丹倉神社の巨岩は、赤倉一帯を行場とした修験者がいつしか祀るようになったとするのが適当なのだろう。だが僕は、太古からこの巨岩への信仰が連綿と続いてきたと思いたい。神は自然そのものだからだ。
(2018年4月1日)