宇曽利湖から流れ出る正津川(三途川)には、朱塗りの欄干の太鼓橋がかかっている。現在は老朽して渡れないので橋の脇を進む。ほどなく広い駐車場に出る。眼前に菩提寺の総門。寂寞としたシュールな風景画の中にいきなり放り込まれる。軽い眩暈、正体のない不安がぷつぷつと粟立つ・・・白昼夢のような感覚に襲われる。
総門をくぐると石畳の参道の先に山門、両脇に温泉小屋。奥の階段を上がると地蔵殿。手を合わせた後、地蔵殿の左手から回り込み、裏山の奥の院に向かう道を上る。振り返ると宇曽利湖の手前に賽の河原が広がり、霊場恐山の全景が一望できる。六月初めのこの地にはエゾハルゼミが鳴いている。その声はさながら読経のように聞こえる。
賽の河原へ向かう。漂う硫黄臭、積み石、回る風車、蒸気が噴く剝き出しの岩塊、そこここに「無間地獄」など場所の名を記す立札が立つ。此岸と彼岸の間の裂け目がぱっくり口を開けている。ウグイを除き、ここは本来生き物の生息や、人の生活に適した環境にはない。引っ繰り返せば、死を想起させるに十分な設えが予め空間に内蔵されており、集合的無意識が刺激される場なのだ。ゆえに、死者との交流を可能とするのだろう。

順路標識にしたがって歩いていて、よく似た場所を思い出した。伏見の稲荷山だ。奉納された夥しい数の鳥居や、山中に立ち並ぶ塚に象徴されるように、稲荷山はあらゆる現世利益を呑み込む。一方ここ恐山は、死者への断ち切れぬ思いを置きに行く場である。対極にあるようだが、めいめいがその場所を訪れ、域内を巡り、思い思いのやり方で祈りを捧げるといった意味において、そこで行われている行為は同質である。民間信仰におけるテーマパークとも言えるだろうか。
幸田露伴の「枕頭山水」(明治二十六年 博文館)の中に「易心後語」という東北への紀行文がある。恐山についても紙幅を割いているがこれがなかなか面白い。
「終に地蔵堂に到り着きけるが、此處はまた如何なこと、わやゞがやゞ雑沓して、宇曽利延命地蔵尊と土地訛り立派に萬葉假名で表し染めたる大旛小幟を幾條となく腥(なまぐさ)き風にばたつかせ、善男善女右往左往に徘徊し、どんざを衣たる爺もあれば、緋金巾の脚布あらはに友を呼びながら駈け廻る姉様あり、頸よりかけたる蝦蟇口をぶらぶらさせ居る醉った若衆、駄菓子を噛り噛り歩く兒童、念佛を歯齦(はぐき)で咬みながら申す老媼様おもひおもひの人さまざま滅多無性に賑やかにて、したゞと生温き水の浸み出で居る境内に、祭日當込商人香具師も少なからず、何でも一銭五厘店、正眞熊の膽(きも)、薄荷水、下駄屋、居合抜き、弘法大師御夢想の御灸などゞ何れも囃立て説きたつれば・・・」ほぼ同様の描写は岡本太郎の「神秘日本」の中の「オシラの魂-東北文化論-」にも見えるのだが、これがテーマパークでなくて、なんであろう。
きょうは参詣者が少ないのだろうか。極楽浜、そして翡翠色をした宇曽利湖の湖面は静まり返っている。
(2018年6月2日)